フミログ

発達障害、知的障害のことから日々の生活のことまで。

今飲んでいるお薬

私は精神科クリニックでお薬を処方してもらっています。

今飲んでいる薬はコンサータエビリファイ、ベルソムラ。

コンサータADHDのお薬、エビリファイは感情をフラットにするお薬、ベルソムラはぐっすり眠るためのお薬です。

私はADHDという発達障害を持っています。

診断されたのは成人になってから。子供たちの診断がきっかけでした。

発達障害による二次障害も複数発症しています。

私が薬を飲むのは、発達障害による日常生活が上手くいかなくなってしまう特性を抑え、二次障害による苦しい症状を抑えて、普通の生活を送るためです。

 

薬が無ければどうなるか。

私の脳は、刺激の選択ができません。必要な情報だけを選んで取り込む機能がありません。

例えば聴覚の場合。

誰かと一緒に電車に乗ったとして。すぐ隣にいる人とも会話することが難しいです。

私の耳は、電車内に溢れる全ての音を拾います。

機械の音や金属音、人の話し声、足音など。

すぐそばにいる人に話しかけられても、こちらを向いて口をパクパクさせているようにしか見えません。

電車だけではなく、ざわざわしている場所では全てそんな状態です。

大きな音も、そのまま耳に飛び込んできます。

脳が震えるような衝撃があります。

視覚も同様です。光や色は頭にダイレクトに刺さるような感覚で飛び込んできます。

眼に映るもの全てに反応して頭の中がとても忙しくなり、ぐったりと疲れます。

 

お薬の効果の一つに、脳のフィルター効果というのがあります。

薬が効いてくると、音や光などの日常どこにでも溢れている、けれど私にとって耐え難い刺激をフィルターをかけるようにカットしてくれます。

初めて薬の効果を実感したときは衝撃でした。

ざわざわしたところで話ができる。BGMがかかっている場所で、音楽が気にならない。大きな音や光が頭に刺さらない。カラフルなものを見ても気持ち悪くならない。

街に出ても寝込んだりするほど疲れることもありません。

リビングで家族とテレビを見ることも苦痛ではなくなりました。

これが普通の生活なんだ。

改めて思いました。

 

刺激をたくさん取り込んでしまうのに、それを処理する能力が弱く、すぐにキャパオーバーになってしまいます。

そして疲れ果ててダウン。この繰り返しでした。

いつも具合が悪くて、何かするとすぐ疲れてしまいます。

頭の中は霧がかかったような感じで考えもまとまらず、何か思いついてもすぐ霧の中に隠れてしまって思い出せなくなってしまいます。

毎日身体はぐったり、頭の中はもやもやして、何かしていても上の空で集中できません。常に眠気もあります。

私は何て役に立たない駄目な人間なのだろうと思っていました。

コンサータという薬は、この頭の中の霧を消してくれる薬でした。

この薬は効き目がはっきりしています。私の場合、飲んで一時間ほどでいきなり頭の中がすっきりして、何だか視界がクリアになります。

今まで平面的にしか見えてなかったのがいきなり立体的になる感じです。

頭の中のすっきり感は、濃いコーヒーを飲んだ時の感じに近いと思います。

そしてその日やらなければならないことが頭に浮かび、どうすればそのタスクを処理できるかまで思いつきます。

薬の効果でキャパを広げ、タスクを処理できるようになっているのですね。

タスクといっても大したことではありません。

毎日の家事や出かける用事などです。

そんな事でもどうしていいかわからなくなるのが私が持っている障害です

 

私が薬を飲んで得られたものは何か。

朝起きて家事をし、出かける用事をすませて、夕方には食事を作り、家族と夕飯を食べて入浴して夜はぐっすり休む。

空き時間があれば自分の好きなことをする。

普通の生活です。

特別なことはできなくていいから、普通の生活ができればいいなあ。

ずっとそう思っていました。

薬で障害は治りません。薬を飲まなければまた特性が強くでるでしょう。

薬を飲んでも完全に特性や症状が消えるわけではありません。どうしようもない事も、ADHDの特性丸出しの失敗もあります。

でも、薬を飲んでいる限り、私は自分のことを役に立たない駄目な人間だと思わなくてすんでいます。

人間らしい生活ができています。

今はそれで十分です。

 

最近は薬の調整が上手くいかなくて、思うように自分を動かすことができていませんでした。

先日の通院で薬の量の調整をしたら、ようやく私の適正な量になったらしく、家事をして、こうして記事を書く意欲もでてきました。

ぐったりした毎日ではなく、また活動的な自分を取り戻して、少しずつでも自分の好きなことに取り組みたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

口唇裂の再手術


14年前のこと。

次男を出産した際、分娩台の上で最初に言われた言葉は、おめでとうございますでも元気な男の子ですでもなく、口唇裂があります、という言葉でした。

は?

出産を終えたばかりで声もまともに出せない状態です。

コウシンレツ?

初めて聞いた言葉でした。

黙っている私に、医師は更に説明を続けます。

唇の端が少し切れている状態です。手術が必要かどうかはまだわかりません。

手術?

確かこの後、この病気が発生する割合などについて早口で説明され、こくりと頷いたところで次男の顔を初めて見せてもらいました。

産まれたての、可愛らしい顔にしか見えませんでした。

出産後、部屋で休んでいる私のもとへ、次男を取り上げてくれた助産師さんが来てくださいました。

赤ちゃん、新生児室で外から見えてもいいですか?と聞かれました。

意味がわかりませんでした。

その病院の新生児室はガラス張りになっていて、誰でも赤ちゃんを眺めることができるようになっています。

助産師さんは、口唇裂の次男の顔を他人に見られないようにしましょうか?と言いに来られたのです。

私はまだ次男の顔をまともに見ていない状態でした。

構いませんというと、すみません、口唇裂だと気にされるお母さんもいるので皆さんに確認してるんです、と言って出ていかれました。

これからどうなっていくのか、胸の内は不安で一杯でした。


口唇裂とは、唇が鼻の下まで裂けた状態で生まれてくる病気です。

片側だったり、両側だったり。

裂けている長さも様々で、口唇口蓋裂といって口腔内と鼻腔がつながってしまっているケースもあります。

口蓋裂単独のケースもあるようです。

次男の場合はごく軽度の片側口唇裂との診断でした。


次男は生後四ヶ月で口唇形成術という手術を大学病院の口腔外科で受けることになりました。

小さな口元にメスを入れると思うと、それはそれは恐ろしかったです。

包丁で肉や魚を刻むときに、イヤなイメージが頭に浮かんで、鳥肌が立つほどの恐怖感を覚えました。

授乳はどうするんだろうか。発語は?摂食は?

不安との戦いの日々。

私が不安に負ければ、子供達まで不安にのまれてしまいます。

次男の顔を見ながら、毎日大丈夫だ、上手くいくはずだと自分を奮い立たせていました。

幸いにして手術はとても上手くいって、次男はきれいな唇を作ってもらうことができました。

授乳や摂食や発語も問題ありませんでした。


そして時は流れて、中学に入学した年の大学病院での定期検診の時。

いつもの様にドクターがじゃあ今年も手術はしなくていいね?というと、次男は突然、いえ、します、と。

え?

私は開いた口が塞がらないような状態になりました。

今まで全くその様な事を言って無かったのに、一年に一回の定期検診で、診察室の中でいきなり手術をすると言い出したのです。

聞けば、友達から唇の傷痕が何かと聞かれる事が多くなってきたそうで。

今よりも目立たないようにする事ができるなら、そうしたいと言うのです。

そうか、それならそうしようかと。

二度目の手術は翌年、中二の夏休みに受ける事になりました。


そして今年の8月。

夏休みを利用して、十一日間の入院を伴う手術を受けました。

結果をいえば大成功で、元々さほど目立たなかった口唇の傷痕がきれいに修整されて、全く目立たなくなりました。

次男は入院前、学校の友達に手術の事を話さなかったそうです。

でも、術後一週間で退院して翌日の始業式の為に登校しても、誰も次男が再手術をした事に気が付かなかったそうです。

術後一週間で、そこまで傷口が目立たなくなるのですね。

術後の経過も順調でした。

全身麻酔での手術だったのですが、次男は手術当日の夕食をほぼ完食してスタッフを驚かせました。

そのまま大きく体調を崩す事はありませんでした。


次男が最初の手術を受けてから、もう一度手術をするか、しないか。

ずっと頭の隅に引っかかっていました。

口唇口蓋裂自立支援医療(育成医療)を受けられます。

18歳までの手術ならば医療費の補助を受ける事ができるのです。

18歳という期限が迫るにつれて、どうしようかと頭を悩ませる日々。

そこに次男自身があっさりと決着をつけてくれました。

今の技術は素晴らしいです。

私の不安など吹き飛ばすハイレベルな医療を受ける事ができました。

そして、その次男の心意気に高い技術と細やかなケアで応えてくださった病院のスタッフの皆さんに心から感謝致します。


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この病気は発症頻度の割合が高いのに、はっきりした原因はわからないままなのだそうです。

原因がわかったとしても、発症するのはまだ妊娠に気付かないくらいの早い段階なのだそうで、防ぐ事は難しいと思われます。

顔面に傷痕が残るので一目瞭然、隠そうとする事すらできません。

心無い言葉で当事者や御家族を傷付ける事が無いように、より多くの方にご理解頂ける事を願います。






 

 

 

こだわりとの戦い〜お弁当編

独身で会社勤めをしていた頃は、毎朝お弁当を作って通勤していました。

お昼に質素なお弁当をつつく私に、年配の男性の同僚達は弁当がいいなあ、自分も弁当が食べたいなあと。
大した弁当じゃないし、お金がないから作ってるだけだという私に、彼等は弁当が一番いいと。
彼等曰く、自前の弁当の良い所は考えなくて良いことだと。
忙しい仕事の合間の昼休憩、何を食べようか考えるのは正直な所、煩わしいです。
自前のお弁当だと考える必要はないですよね。
もう一つは、自作弁当だと飽きないと。
出前をとるのもお弁当を頼むのもコンビニも、すぐに飽きてしまいます。
食べに出る程の時間も気力もありません。
新人社員に課せられた大事な仕事の一つに、美味しい出前の店をみつけてくることというのがある位に、皆毎日の昼食に飽きていました。
あとは食べやすさ。
仕事が忙しいと、昼休憩をきちんととれないことがあります。
自前の弁当なら、好きなもの、食べやすいものを詰めておけば、飽きる事もなく、時間がなくてもさっと広げて食べる事ができます。
彼等の話を聞きながら、弁当というものは
①時間がなくても仕事の事で頭が一杯でも食欲がなくても、仕事しながらでも食べられる食べやすさ。
②食べれば美味しいとわかっているいつもの味の安心感。
この二つが大事なんだな、というのがわかりました。
 
時は流れて。
現在の私はほぼ毎日、家族の誰かの為にお弁当を作っています。
発達障害特性を持つ我が家の家族、お弁当も何でもいいわけではないようです。
 
まずは発達障害特性上、強いこだわりを持つ旦那。
なんかイヤ、という五文字のクレームを訴えられ、何が嫌なの?と聞くと応えられないという、禅問答の様なやり取りを繰り返しました。
こだわりからの不快感なので、本人にも何が嫌なのかよくわからないのです。
長年のバトルの末に出た結論は。
①お弁当箱は二段重ねではなく、全体が見通せて手に持って食べやすい一段のもので。
②おかずは卵焼きとウインナーの他二品、計四品以上入れない事。
③ご飯は多めに。
④一目見て味が想像できないものは入れない。
⑤残り物のおかずは入れない。
この条件を満たせば、クレームが出ない事がわかりました。
卵焼きは手作り、ウインナーは彼の好みのものを入れておけば、あとはチンするだけの冷凍食品でもOKです。
長い事私は、旦那のこだわりはおかずにあるのだと思っていました。
手のこんだおかずを詰めることを望まれているのだと勝手に思っていたのです。
そうではなくて、旦那はお弁当箱のフタを開ける前から何が入ってるか想像できる、つまり見通しが立てられる安心感が欲しかったのです。
その事に気が付いて、上記の条件を満たしたものを詰めるようにすると、文句を言わなくなりました。
何だ、簡単だったんじゃない、と力が抜ける様な思いでした。

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長男の場合は量とご飯の温度でした。
長男は少食なのに、こだわりからのこすのを嫌がり、無理に完食しようとします。
でも、彼の要望通りだと、本当に小さなお弁当箱になってしまいます。
痩せた長男はしっかり食べなければ体力が保ちません。
どうすれば食べられるか色々試行錯誤の結果、彼の場合はランチジャーの温かいご飯で、おかず多めのご飯少なめにすればある程度の量が食べられる事がわかりました。

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次男は旦那と同じ特性を持っていて、お弁当箱が分かれていると食べにくいようで、一段のお弁当箱にすれば食べやすいとの事でした。
全体が視野の中に収まり、見通せる事が彼にとっても大事な事であるようです。 
味覚に過敏がある次男はご飯にふりかけなどがかかってないことも大事でした。

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TwitterのTLで、また保護者同士の雑談の中で、お弁当が大変だという話をたまに聞きます。
お弁当に求めるものは、その人の性格やこだわりや好みで違ってくると思います。
凝ったお弁当でなくても、実はこういうものを作って欲しかったんだというツボがわかって、シンプルに考えられれば少しはハードルが下がるのではないかと思います。
 
一番しんどいのは、前日、明日の朝早起きして作らければいけないというプレッシャーなのではないでしょうか。
私はそうです。
自分で自分のハードルを上げてしまうのですよね。
でも、食べる方は難しいことは何も考えずにお弁当を広げているのだと思います。
作る方も難しく考えずに取り組めると楽になるのではないかと思うのですが。
 
しょうもないお弁当画像を晒していますが、私が作っているのはこんな感じの、全然力が入ってないものです。
作る時間はだいたい20分くらい。
この食べやすさが、彼らには好評です。
私のお弁当画像で、勇気が出る方が一人でもいらっしゃれば幸いに存じます。
今は便利な食材がたくさん売られています。
冷凍やレトルトも賢く使って、気軽にお弁当作りにチャレンジされてはいかがかなと思います。
 
最後になりますが、試合を家族で見に行った時のお弁当の写真も、恥をしのんで置いておきますね。
運動会弁当とは少し違いますが、こんなレベルなんだと皆さんが元気になってくだされば良いなと思います。

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9月1日を前に


「図書館に居る子を見逃せない」と思った方へ - スズコ、考える。

最近、Twitterで9月1日に学校へ行くのが辛いなら図書館へ行こう、という呟きを多く見かけます。

我が家にも、不登校の子が居ます。
現在17歳、特別支援学校高等部二年生の長男は、小学校の頃から毎年、11月に入ると調子を崩しはじめ、徐々に一人で居られない状態になります。
そして学校に行けないだけでなく、家から出られなくなります。
発達障害の二次障害が、長男を外に出られないようにしてしまうのです。
ここ数年は入院する様にもなりました。
入院期間は徐々に長くなっています。

長男に、学校に行けない時に図書館に行く?と聞いてみました。
長男は行かない、ときっぱりと言いました。
行かないの?どこにも行きたくないから?と聞くと、いや、そうじゃないよ、図書館に行くんじゃなくて、自転車に乗りたい、と応えました。

長男は自転車が大好きです。
学校も大好きです。
学校に行けないなら、自分の好きな事がしたいのだそうです。
長男は、車と自転車が大好きです。小学校の頃からやっている水泳を頑張っています。
学校にも行けず、外にも出られなくなる長男を支えているのは、彼自身が好きな事、頑張っている事なのだと思います。

本が好きなら、図書館に行けばいいと思います。
自転車が好きなら、自転車に乗ればいいと。
水泳が好きなら、泳げばいいと思います。
好きな事があるならば。
では、ない場合はどうすればいいでしょうか?

考えても応えは見つかりません。
好きな事があれば、学校へ行けなくても、好きな事をする為に外に出ます。
でも、ない場合は、家から出る用事が無くなりますよね。

好きな事って大事だなあと本当に思うのです。 
知的重度の療育手帳を持ち、読み書き困難の特性を持つ長男は、学習機会を十分に得ることができませんでした。
コミュニケーション能力だけが飛び抜けて高い彼は、笑顔で車と自転車が好きで、水泳ができて良かったと言います。
親として、救われます。
元気になったらまた思いっきり好きな事をする、という気持ちが、長男の辛い冬場を乗り越える糧になっているのだと思います。

学校に行けない時期が過ぎて、いざ登校という時になっても、いつも体力的に適応するのが厳しいです。
そこで今年は退院してから、地道なチャレンジをしてみました。
去年まで、不登校期間は休憩とみなして、生活のペースも本人の好きなようにさせていました。
けれど、今年は私が軽いノルマを長男に与えてみました。
元々、食器洗いや掃除等の家事はよく手伝ってくれます。
それを余程具合が悪くない限り毎日きちんとする様に強制しました。

もう一つは毎朝のウォーキングです。
朝起きてすぐに20分程近所を歩くように言いました。
雨の日も傘をさして行かせました。
一週間程過ぎたあたりから、自分から歩きに行ってくる、と言って行くようになりました。
雨でも傘を持って歩きます。
ウォーキングは、本人にもはっきりわかるくらいに効果が現れたそうです。
日に日に体が軽くなって行ったそうです。
ウォーキングと合わせて、ipadのアプリを使って7分間のストレッチもノルマにしました。

ipadの勉強アプリを使って、毎日30分学習する事もノルマにしました。
何のアプリをするかは本人に任せたのですが、ほとんどローマ字入力のアプリをやっていた様です。
そのせいかどうかはわかりませんが、登校した際に担任から、ローマ字入力がとても早くなったとほめられたそうです。
ipadを使いこなす為に、生活の中でわからない事は細かく検索する事も言い続けました。
ローマ字入力が早くなったのは、検索を自分でする様になったからかも知れません。

朝は遅くとも7時までに起きて、夜は10時には寝るようにしました。
昼寝はできるだけしない様に。
食事は食べられる時に食べていいことにしました。

ノルマを作ってから、長男の顔色がみるみる良くなりました。
身体を動かして規則正しい生活をするのは大事な事なのですね。
改めて実感しました。
けれど。
忘れてはならないのは、学校に行けない時は、休まなくてはならない期間であるということです。
ノルマを作るなら、本人の負担にならないレベルにしなければなりません。
しっかり身体を休められる事が大前提です。

そして周囲の理解を得ること。
長男は学校に行けない時期に自転車で近所を走っていたら、警察官に学校は?と声をかけられたそうです。
今は行けてません、と応えると、そう、気を付けてね、と言われて終わったそうです。
普通だったら考えられない対応ですよね。
長男には普段から、何かあったら療育手帳を出して周囲の人に助けを求める様に伝えています。
交番には時々道を尋ねる為に顔を出していたので、地域の警察官の方は長男の顔を覚えてくれています。
だからこういった対応になったのだと思います。
以前から、主治医から何かあった時の為に交番には挨拶に行く様に、と言われていました。
不登校中に無駄に補導されて心の傷を増やす前に、そういった配慮を求めてもいいかも知れません。

発達障害児は、とても刺激に弱いです。
脳の、余計な刺激をカットするフィルター機能が生まれつき無いからです。
生まれつき無いのだから、どれだけ時間がたっても環境に慣れて平気になる事はありません。
学校は様々な刺激に溢れています。
音や色彩、文字情報、喋り続ける先生や友達、突然変わる予定、動きが予測できない子供達、エアコン無しの窓を開け放った明るすぎる教室。
どれも、発達障害児にとっては耐え難い刺激です。
それらの刺激は、時に彼らの集中力を奪い、苦痛を与えます。
学校が嫌いなわけでは無いのに、彼らはそこに居ることが難しいのです。

今日は何だか体調が悪い、今日学校に行ったら先生の大きな声が絶対頭に刺さる…。
音が頭に刺さるのは辛いです。耳を塞ぎたくなります。
そんな風に登校中にふと思ってしまったら。
逃げ出したくなります。
今日一日、刺激の洪水の中でパニックにならないように頑張らなければならない、いつも頑張ってるけど、今日はもっと頑張らなければならない。
発達障害が無い方には、この感覚は中々ご理解いただけないようなのです。
一部の先生方はそれを我儘、我慢が足りないと捉えて無理に活動に参加させようとされるのだとか。
大声で叱りながら。
お子さんでは、脳機能について説明することはもちろん難しいでしょうし、自分の状態を言語化する事も十分にできません。
そんな時、私達が子供達にできる指導は、回避する事です。
逃げる事ですね。
これは専門家に相談してもそのように指導される、きちんとした対応です。
刺激に弱い子供達には、パニックを起こす前にクールダウンする為の逃げ場が必要です。
そうしなければ、どんどん追い詰められてしまいます。

新学期を前に、また刺激の洪水に晒される事に恐怖を覚えている発達障害児のことを思います。
お友達が嫌いなわけじゃ無いのに、何故か教室に居るだけでどんどん疲れて、気分が悪くなってしまう…。
いや、ひょっとしたら大丈夫かも知れない、大人が言うように、学校に行けば慣れるかも知れない。
そう思って勇気を出して登校している朝、嫌いなわけでは無いお友達の声が聴覚を鋭く刺激してしまったら。
逃げ出したくなる時もあります。
そんな気持ちを受け止めて、ほんの少しの間だけ、落ち着きを取り戻す為のクールダウンエリアとして機能してくれる場所が図書館だったら、素敵だなあと思いました。
そんな場所があったら、長男も今の様にはならなかったかも知れません。

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どうしても辛い時は逃げる事も一つの手段である。
好きな事があれば学校に行けなくても自信を失わずに生きていける。

9月1日を前に、この2つを、ここに置いておきたいと思います。







ADHDは生活習慣病になりやすい

今年の3月に、年に一度の健康診断を受けました。

その時に、血圧が159/98。
まあ様子をみましょうということになりました。
そして6月頃だったでしょうか。
公共施設に備え付けの血圧計で測ってみたら、上が170超え、下は90超えでした。
これはまずいのではないかな…。
心配になって、定期的に通って薬を出してもらっている精神科の主治医に相談してみた所、とりあえず減塩してみようということになりました。
我が家の食事は、元々薄味だと思います。
子供達は学校の給食が味が濃いといつも言っています。
うちの方が薄味だと。
それをさらに減塩して、ほうれん草やアボカドをたくさん食べました。
カリウムを多めにとって、塩分を排出する作戦です。
同時に、血圧計を購入して、朝晩の血圧を測りました。
できるだけの事はやってみましたが、血圧は下がるどころか上がっていき、最高値は180/110をマークしました。
日によって変動はありますが、下が100を下らない様になってしまいました。
精神科の主治医から、内科を受診するように言われ、すぐに血圧の記録を持ってかかりつけの内科を受診しました。
 
内科では、とりあえず投薬して血圧を下げましょう、と言われました。
そして少しずつ検査をしてみましょうと。
 
その事を精神科の主治医に報告すると、主治医も薬でとりあえず下げるのがいいと思う、と言われました。
私は、発達障害の二次障害として鬱を発症しています。
鬱病で血圧が急上昇する事があるのだそうです。
その場合、鬱が治まっても血圧は下がらないのだと。
あなたはそのケースなのだと思うと。
おそらくは薬を使わないと下がらないだろうと思う、と言われました。
少しショックでした。
鬱で高血圧にまでなってしまうとは。
 
主治医はゆっくりと説明を重ねてくれました。
私は、鬱を発症してから体重が10キロ単位で短期間に増減しています。
眠剤を飲んでも眠れない事もよくあります。
血圧も、太るのも痩せるのも、夜眠れないのも、私の場合は鬱が原因だと思うと。
私のケースでは、おそらく減塩したりダイエットしても効果が無いと。
一番しなければいけないのは、鬱を治すことと、鬱にならない様にする事だと。
食事制限やダイエットを頑張るのではなく、リラックスして自分に負担をかけない様にする事を気を付けた方がいいと。
主治医は優しく語りかけるように説明してくれました。
 
思えば、体重が激しく増減した時も、高血圧がわかった時も、私は精神科の薬の影響を疑って、主治医にストレートに質問しました。
薬の影響はありますか?と。
私は、自分に鬱の症状がでていて、鬱を再発している自覚はありませんでした。
主治医はうーん、どうだろうねー、とだけ答えて明言を避けていました。
主治医は私の鬱の症状が治まるまで、あえてショックを受けさせるような事は言わなかったのだと思います。
鬱が出ていることもはっきりとは言われませんでした。
今は鬱の症状が治まって、それこそ血圧を気にする余裕まで出てきたので、このタイミングで体調を整える方向に持っていこうとしてくださったのかなと。
精神科の医師は、時にこの様に患者の事を考えてわかっていても明言を避ける場合があります。
患者のキャパが少なくなっていて受け止められない時や、症状から曲解してしまいそうな時はあえて何も言わず、患者の精神的な準備が整ったタイミングで伝えてくれます。
その事が誤解を呼んでしまう事もあるのかなと、ネットを見ていると思います。
 
主治医は説明を続けてくれました。
ADHDは刺激を求める特性から、塩分や糖分、脂質を過剰にとってしまいがちで、生活習慣病になりやすいのだと。
いい機会だから、そういう事を少し意識しておくといいかもねと。
アルコールはどうでしょう…?と私が恐る恐る聞いてみると、あなたアルコール無いとダメでしょう、できない事は言わない!と怒られました。
程々にね、と。
確かにお酒は好きなので、お酒を止めるように言われたら、楽しみが一つ減ってしまいますね。
 
その後、内科の方では色んな検査を続けています。
血圧以外はほとんど問題が無いようですが、かなり運動不足であると。
一日7000歩を目標に歩いてくださいと内科の医師に言われて、できるだけ毎日歩く様にしています。


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歩いている途中に撮った写真です。
海辺に住んでいるので、こんな風景を眺めながら歩いています。
私は以前からリストバンドタイプの睡眠活動量計で一日の睡眠と活動量を可視化していました。
意識して歩き始めてから3週間程になりますが、食事もきちんととれるようになったし、夜もぐっすり眠れる様になりました。
体力もついてきた様に思います。
ウォーキングは鬱予防に効果があるという説もあるそうですね。
できればこのまま続けていきたいと思っています。
 

私の読み書き困難

もう何年も前の事です。

発達障害児の保護者ばかりが集まってお話をする機会があり、そこでものの見え方について話題になりました。
私は子供の頃、木の壁の節目の模様がうねうね動いて迫ってきたり、チェック柄がすごいスピードで動いて見えて怖かった、という話をしました。
その場に一人だけいた専門家の先生に、これは発達障害の特性なんでしょうか?と聞くと、LDの特性の様に思いますね、と言われました。
 
LDとは、Learning Disorders 学習障害の事です。
DSM-5では、限局性学習症(Specific Learning Disorder)という呼び方に変わったそうです。
Twitterでフォローさせて頂いているなないおさんが先日、この様な記事を公開されました。
私は医師から限局性学習症である、という診断をされているわけではありません。
けれど、なないおさんの記事を拝見して、私も子供の頃から読み書きで苦しい思いをしてきた事が思い出されました。
私も自分の読み書き困難の特性について、書いてみたいと思いました。
 
私は子供の頃、名前を書く欄にどうしても自分の名前を収める事ができませんでした。
小学校低学年では、枠からはみ出して記名する子はたくさんいますよね。
でも、成長するにつれ、皆スッキリと見やすく書き込む事ができるようになります。
私は小学校高学年になっても、中学生になっても、枠の中に収めて書くことができませんでした。
自分の名前だけでなく、テストの答案などは全てそうでした。
どれだけ丁寧に書いても、字が踊る、流れる、はみ出す。
枠内に収めようとすると、今度はものすごく小さな字になってしまいます。
字は丁寧に書きましょう。
いつも赤字で書き込まれていました。
 
もう一つ悩ましかった事。
どうしても漢字が覚えられませんでした。
私の場合、読む事は得意でした。
なのに、書けません。中学生になっても、高校生になっても、そして今も。
小学生レベルの漢字が覚えられません。
子供達の連絡帳を書く時などは、スマホ片手に漢字を検索しながら書いている状態です。
役所の窓口で担当者の目の前で書類を書く時などは、冷や汗ものです。
読めるなら書けるでしょう?
何度も言われたけれど、何で読めたら書けるのかとても不思議でした。
書き取りの練習も、かなり大きくなるまで一生懸命やっていました。
こんなに練習してるのにね…とも言われました。
 
書くことは大嫌いでした。
テストの点数は記述式かマークシートの選択式かで大きく点数が違いました。
 
読むことも困難があった様です。
苦手だったのが、黒板を書き写す事です。
黒板を見て、ノートに視線を移す間に何が書いてあったかを忘れてしまいます。
ADHD特性の一つ、短期記憶の弱さですね。
なので単語一つずつ、ひどい時は一文字一文字書き写します。
とてもついていけません。
ノートをとる事に必死で、授業を聞く余裕などありませんでした。
聞くことか書くこと、どちらか片方ならどうにかできました。
でも、両方はとてもついていけませんでした。
 
成長するにつれ、読むことも書くことも、子供の頃よりはできる様になりました。
でも今も、困難さはある様です。
それ自体が特性だと、最近になって気付いた事もあります。
 
例えば、本を読んでいて、改行が上手くできなかったり。
同じ行を何度も読んでいたりするんですね。
ページをめくった途端に、前のページに書いてある事が頭の中から消えてしまったり。
読んでいる時に全然違う映像が頭に浮かんで、文章の内容が頭に入らなかったりします。
 
私はどうも、横書きの文章が苦手な様で。
横書きだと、文字がただの記号の羅列の様に見えてしまう事がよくあります。
何回読んでも、何が書いてあるのかわかりません。
何度も何度も読み返して、頭の中で音声変換してようやく読む事ができます。
でも、せっかく読めたのに、ページをめくった途端に忘れてしまったり。
 
画数の多い漢字だと膨らんで見えて、隣の平仮名が隠れてしまう事もあります。
文字が全て同じ大きさに見えてないのかもしれません。
行が波打って見えたり、滲んで見えたり。
めまいを起こしている様な感覚を覚えます。
縦書きだと、この様な事はほとんどありません。
 
縦書きでも、真っ白い紙に黒字で印字されていると、チカチカと眩しくて読みづらい時があります。
点滅している様な感じでしょうか。
 
どうも、計算にも困難がある様で。
簡単なお釣りの計算や、割引の暗算ができません。
割り算も難しいです。
いつも子供達に呆れられてしまいます。
 
自分は知的障害ではないかとずっと思っていたのですが、知能検査の結果は知的障害ではなく、凸凹の激しい発達障害でした。
 
スマホタブレットは、とても強い味方です。
私はADHDで記憶が弱いのに、書字が苦手で、メモを取る事ができませんでした。
スマホがあればメモアプリで簡単にメモをとる事ができます。
撮影して保存する事もできます。
 
電子版の本も、紙の本より読みやすい事に気が付きました。
コントラストの問題でしょうか?チカチカしないのです。
最近は本はできるだけ電子版で読む様にしています。
 
工夫すれば読みやすくなる事もあります。
カラーマーカーでラインを引けば、頭に入りやすくなります。
学生の頃はそれで乗り切っていました。
私が読みやすい色は黄色か緑です。
定規を当てて読むのもよくやっていました。改行が上手くいくし、文字が動くのも防げます。
 
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最近では、この様なものも使い始めました。
なないおさんの記事でも紹介されていた、カラーバールーペです。
私は15センチのものを使っています。
これを使うと、とても読みやすいです。
 
マルチメディアDAISYは、一度講演を聞きに行って、サンプルを拝見しました。
音声と共に文字が着色され、するすると頭に入ってきて驚愕でした。
一度読めたものは、二度目に読むとかなり読みやすくなります。
教科書など、最初に読むときだけでもマルチメディアDAISYで読めたら、負担が減るのではないかと思います。
 
自分が発達障害だとわかった時に、若い時に診断されていたら…と思う事はありました。
この読み書き困難については、特に強く思います。
何で書けないんだろう。
何で読むのにこんなに苦労するんだろう。
ずっと思い続けてきました。
どうか、教室の中で読み書き困難の為に学習機会を失っているお子さんに、支援の手が届きます様に。
工夫すれば乗り切れる事に、周囲の方が気付いてくださる様に。
どうか、どうか。
劣等感の中で自分が嫌いになってしまわない様に。
保護者の方や先生方が一刻も早く気付いてくださる様に。
心から、祈ります。

 

[共栄プラスチック 8184627] (ケア商品)カラーバールーペ グリーン
 

 

 
 

就労Aでランチしてきました

昨日チラッと書きましたが、次男の支援級の親子で就労Aのビュッフェでランチしてきました。
場所は都会のマリーナの中にあるカフェ。ロケーションは上々でした。
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開店前に私達のグループだけ入店し、施設長さんやスタッフのお話を伺いました。
中でも発達障害を持つという20歳の女性のお話にとても感動しました。
彼女はここで働くまでいくつか職場を転々とし、辛い思いをされたそうです。
このA型就労のカフェに来て、始めて丁寧に仕事を教わり、優しくしてもらえたと。
マイクを持ったまま大きな瞳からポロポロと涙を流しながら、それでも一生懸命話そうとする姿が愛おしくて。
発達障害を持つ若い彼女が、自らの痛みをあらわに伝えようとする勇敢な姿に心から拍手を送りました。
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食事はビュッフェスタイルで食べ放題。
中学生達は我先にと並びますが、私達保護者も負けていられません。
できるだけたくさんの種類を食べられる様に少しずつ取って、食べたかったものはほぼ制覇できました。
とても美味しかったです。
美味しく食べられるって幸せだなあと実感。
支援級の保護者の皆さんとの濃い内容のおしゃべりも充実して、とても楽しい一時を過ごす事ができました。
厨房も見せていただいたのですが、なるほどな…と納得できました。
一人一人が一つの作業を与えられ、集中して取り組んでいました。
立ち仕事ですが、動いている人があまり目立ちません。
皆さん忙しく働いているのに、人と人とが重ならない様にきちんと動線が整えられているのです。
ランチタイムの厨房なのに怒声も飛びません。たくさんの張り紙が壁面に貼ってあり、可視化が意識してされているのではないかと思いました。
支援学校からの現場実習の子が一人いました。
案内のスタッフから呼ばれてきたその男の子は、突然の事なのに私達に笑顔で仕事の事を話してくれました。
2週間の実習は今日で終わりなのだと。
毎日片道1時間以上かけて通勤したのだと話すスタッフの横で、笑顔で仕事は楽しかったと語る彼の姿に、迷える保護者として元気をもらいました。
今までいくつかのA型就労施設を見学してきましたが、これほど職場として充実した所は無かった様に思います。
美味しいお料理と広く清潔な店内に、海辺の上々のロケーション。
応援したいので、是非また食事に来たいと思いました。

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今日も日暮れ前に浜辺を歩きました。
時間が無かったので、お散歩のペースでは無くきちんとウォークしました。
私は海が苦手だとずっと思っていたのですが、今日が終わっていく海を眺めながら、この風景に愛着を感じているのかも知れないなと思いました。