死にたかった私へ
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以前、こんな記事を書いていたなあと、ふと思い出して。
そして、若い頃、死にたくて仕方なかったことも思い出した。
子供の頃からだったな。いつも死にたいと思っていた。
自分なんかこの世界に要らないじゃないかと。
何の役にも立たない。誰からも必要とされない。私が死んでも誰も悲しまないし、むしろほっとする人ばかりなんじゃないのか。
私が死ねば、一人分の食費も水道光熱費も浮く。一人分の出費がなくなる。
地球上から私という人間が無駄に消費するエネルギーを節約できる。
空気も水も、私が消費するなんて、なんてもったいないんだろう。
私さえ居なくなれば、無駄がなくなるのに。
私なんて生きてる意味なんか何もないんだから、早く死ねばいい。
そんなことばっかり考えてた。
大人になっても、うまくいかないことばかりで、ホント生きることにうんざりして。
何のためにこんなしんどい思いして生きてるんだろう、何のために生きるの?
もう生きるのめんどくさい、死んでしまいたい。
ずっと思ってた。
それでも結局、死なずに今も生きてる。
なんか死ぬのもめんどくさくて。
もうちょっと私に元気があって、えいや!って思い切ったことができてたら、もうこの世には居なかったかも知れない。
いや、そうでもないかな。結局は死ぬのが怖かったのかも知れない。
ずっとずっと。
なんで生きないといけないのかな、って思ってた。
生きる意味って何?と。
本にはまあいいことが書いてあったりするけど、どの言葉もなんか白々しく思えて、しっくり来なくて。
でもある時、漫画のセリフで、ちょっとズシンときたのがあった。
自分は何のために生まれてきたのか?と問う相手に対して、主人公が答えたのが。
人として、生きるために、だ。
というもの。
ものすごいシンプルなお答えなんだけど、その時の私にはなんかすとんと落ちた。
ああ、人として生まれたんだから、人として生きなくちゃいけないんだ。
こんな当たり前のことも、よくわかってなかった。
あと、人して生きるって何なのかもよくわからず。
それがわかるくらいまでは生きた方が良さそうな気がする、とは何となく思ったなあ。
生きる意味とは。
私は何のために生きるんだろう?
何で生きないといけないんだろう?
この答えは、未だ見つからない。
ただ、今はわかったことが一つある。
生きることに、意味とかないんだよね。
生きることに意味なんて必要ない。
ただ生きるだけなんだよね。
別に誰かや何かの役に立たなくてもいいし、人の世話になったっていい。
地球の資源を消費してもいい。
生まれたから、生きるだけなんだよね。
ただそれだけ。
生きてたらしんどいこともあるし、楽しいこともある。
幸せな時もそうじゃない時もある。
色々あるのが生きるってことなのかなあと。
まあいいことばっかりあるわけないし、悪いことばっかりでもない。
ただ淡々と、今日を生きて明日のために眠るだけ。
若い頃にそんな風に考えられてたら、もうちょっと楽に生きられてたかも知れないなあとか、最近思う。
生きていくためには、何かを頑張らないといけないと思っていたから。
でも、別に頑張らなくても生きてていいみたい。
まあ、頑張らないといけない時もあるけどね。
あと、そうだなあ、時間と距離が解決してくれることもある、というのもこの歳になってわかってきたことかな。
若い頃にいじめられたりして、ダメージ受けても、いじめられた場所からも人からも離れて、時間が過ぎていけば、傷って少しずつ癒えていくみたい。
時々フラッシュバックはあるけどね。
今はまあ、もうどうでもいいやと思えるくらいにはなってる。
なんかそこにこだわって色々考えるのもめんどくさくて。
めんどくさがりな性格のおかげでどうでも良くなってるのかも知れないけど。
まあ、そういうこともあるので、しんどいことからはとりあえず上手に逃げて、嵐が過ぎるのを縮こまってじっと待ってみたらどうかなあと。
戦わないといけない時もあるけど、戦わないといけない時って生きててそう何回もないと思う。
頑張りどころは間違えると無駄に疲れるだけなので。
戦うエネルギーは、ここぞという時まで温存したい。
こんな風にね。
若い頃にもっと楽に生きていいよ、って言ってもらえてたら良かったのになあと最近よく思う。
だからここに書いてみた。
若い頃の私が成仏できるように。
色んなことを諦めて楽になれるように。
若い頃の私と一緒に、これからものんびりと生きていくつもり。