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発達障害、知的障害のことから日々の生活のことまで。

聞いてくれてありがとう 世界自閉症啓発デーコラボ企画に寄せて

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nanaio.hatenablog.com

私はADHD(注意欠如多動症)だと診断されています。

双極性障害Ⅱ型、身体表現性障害という診断名もついています。

診断されたのは、大人になってからです。

 

子供の頃から、他の人が難なくやってのけることができなくて、いつももたもたして周りについていけませんでした。

毎日失敗だらけです。

何故か成績は悪くなかったので、周囲の人は誰も私に障害があるとは思わなかったでしょう。

しっかりしなさい。

やる気をだしなさい。

ふざけるな。

今でも、思い出すと耳を塞ぎたくなるくらい、毎日毎日怒られていました。

一生懸命やっているつもりです。

やる気はあります。やりたいんです。

ふざけてなんかいません。

言えるわけもなく。

泣いているのを知られると、また叱られてしまうので、お風呂の中や布団の中で毎日のように声を押し殺して泣いていました。

 

大人になっても、やっぱりぐずぐずもたもたしていて。

でも、偶然に大人の発達障害を診断できる医師と出会ったことにより、ADHDだと診断されました。

何故、私はできて当たり前のことができなかったのか。

発達障害があったから、脳に障害があったからだったのです。

 

診断されてからの私は、ずっと本来の自分を取り戻す作業をしてきました。

40年近く、自分はどうしようもなく駄目な人間、価値のない人間だと思って生きてきました。

そう思ってふてくされるしか、自分を保つ方法を知らなかったのです。

そうじゃない、障害があったから、仕方なかった。

誰も悪くはない。

私は、生きていてもいい。

ゆっくりとですが、私自身を肯定できるようになってきました。

 

私が私を肯定できれば、周囲の人も私を肯定的に受け容れてくれるようになるのでしょうか。

この歳になって、少しずつですが、友人と呼べる人ができました。

共通の趣味をもつ人だったり、子供たちを通してのママ友だったり。

彼女達には、私の発達障害のことは話しています。

話せています。

と、いうか。

聞いてくれるのですね。

別々の場面で知り合った彼女達、混じり合うことはありません。

けれど、そこが同じなのです。

彼女たちは皆一様に、私の発達障害特性の話をじっと聞いてくれるのです。

自分の主観を挟むことなくじっと聞いて、どうすれば私と共に行動できるかを一緒に考えてくれるのです。

 

私には障害があります。

目の前にいる人から、いきなりこう言われたら。とても驚きますよね。

そして、どう言えば相手を傷つけずに済むか、失礼の無い言葉はどれか、一瞬の内に考えるのだと思います。

慰めのような言葉をもらったり、障害があること自体を否定されてしまったり。

仕方のない反応だと思います。

私の友人である彼女たちも、最初はそうでした。

でも、その後は関心を持って、私の勇気を振り絞った告白に耳を傾けてくれました。

そして、障害がある私と、友人としてのひと時をごく普通に楽しむためにはどうすれば良いか、真剣に考えてくれました。

めんどくさがることも、適当にごまかされることもなく、真剣に考えて心から共に過ごす時間を楽しんでくれるのです。

長く生きてきて、初めてでした。

自分がここにいていいんだと思うことができました。

彼女達には、心から感謝しています。

 

私は、障害を持って産まれてきた自分を、二度と否定したくありません。

障害は私の一部。それを含めて、丸ごと、私です。

けれど、そのままでは、普通の生活をする事が難しいです。

なので、少しだけ、助けてもらっています。

それはお薬だったり、友人たちに一緒にランチできるお店を考えてもらったり。

デジタルの力や支援グッズを使ったり。

ほんの少しだけ助けがあれば、私はごく普通に日常生活を楽しむことができるのです。

普通になりたいとは思っていません。

普通の生活がしたいだけなのです。

 

私を丸ごと肯定してくれた人達に心から感謝を。

そしてこれからもそんな出会いを楽しみに生きていきたいと思います。