フミログ

発達障害、知的障害のことから日々の生活のことまで。

私の発達障害の事を書いてみました

スポンサードリンク

http://nanaio.hatenablog.com/entry/2015/04/01/100000

なないおさんがこんな企画を立ち上げてくださいました。
私は自分の発達障害についてお話させて頂こうと思います。

 
中学生の頃。
休み時間になると、狭い教室の中で皆いっせいにおしゃべりを始めます。
集中して授業に参加した後に緊張が解けて、ホッと一息つく、短いけれど楽しい一時です。
私は仲の良い友人とおしゃべりをするのは好きでした。
けれど、この時間は恐怖でした。

私には、私の真横でしゃべる友人が、ただ口をぱくぱくさせているだけにしか見えませんでした。
側で話しかけてくれているのに、友達の言葉が全く聞き取れないのです。

私はひきつらせた笑顔を浮かべながら、話している友人の口の動きや周りの反応を見て、何の話をしているのか推理しながら会話に参加していました。
聞き返す事も多かったです。
耳遠いね!とよく言われました。
あはは、そう、耳遠いの、と言おうとすると、違うよね、めちゃめちゃ地獄耳の時もあるよね!と言われます。

そう。
離れた距離でひそひそと話す人の会話が聞こえてしまう事も度々ありました。

私の耳は何かおかしい。
はっきり意識したのが、中学生の時でした。
聞こえない、聞き取れない。
でも、すごく聞こえる時もある。
意を決して、母に訴えました。
耳が聞こえない。
この一言を口から絞り出すと、涙がポロポロと溢れました。

耳鼻科でして頂いた検査では、私の聴力は人並み以上だという結果でした。

嘘ついたね。
母は私に言い放ちました。
私は嘘をついた。
私は当たり前の事で騒いだ。大袈裟だった。母に迷惑をかけてしまった。
私は嘘つき。

二度とこの事は言ってはならないのだと理解しました。

自分が何か異質であると意識しだしたのもこの頃でした。

小学生の頃から、授業中はいつもボンヤリとしていました。
先生の話は外国語の様で、時折知ってる単語が聞こえる位でした。
教科書を読むのは大好きで、どんどん読んで勝手に勉強を進めていました。
成績は悪くありませんでした。
でも、指示が頭に入らないので、皆が何をやっているのかわかりません。
もたもたして、周囲から冷たい視線を浴びてしまいます。

常に体を動かしていないと落ち着かなくて、不安な気持ちになりました。
シーンとした教室にいると、とても不安になって、自分の意思とは関係無く体が動いてしまいます。
椅子に座ったまま肩をすぼめてみたり、足をバタバタさせてみたり。椅子をがったんがったん揺らしてみたり。気が付いたら、椅子ごと違う場所へ移動していた事もあります。
小学生の頃は体が動いてしまうのが嫌で、ずっと椅子の上に正座して授業を受けていた時もありました。

でも、他にそんな子はいないんです。
皆先生の指示を聞いて言われた事をやっているし、椅子にも真っ直ぐ座っています。

皆きっと、すごく体に力をいれて、動かないようにして座っているんだ。
皆先生の話をすごく頑張って聞いて、ちゃんと言うことを聞いてるんだ。
私は頑張ってないからできないんだ。

話が聞こえないのも、授業中ボーッとしてしまうのも、体が勝手に動くのも、頑張ってないからなんだ。

もっと頑張らないと。

毎晩の様に一人で嗚咽をこらえて涙を流しました。
家族に気付かれないように。

何故か、成績は常に上位でした。
だから余計に、私自身が感じている違和感に周囲が気付く事は無かったのだと思います。

普通になりたい。目立たないようになりたい。
頑張ればできる、頑張ってないから私は何か周りと違うんだ。
ずっとそう思っていました。

体はいつも鉛の様に重く、だるくて、一日中眠気がありました。
小さな頃から強い不眠もあり、何日もまともに眠れない時もありました。
頭には常に射し込むような痛みがあります。
軽い目眩の様な感覚に突然おそわれて、歩くことも困難になることがありました。

体はどこも悪くありません。
皆、同じなんだ。 
私の我慢が足りないんだ。
ずっと自分に言い聞かせてきました。

思い通りにならない自分自身を、必死で制御し続ける日々。

大人になって、仕事もいくつか経験しました。 
結婚して、子育てしながら始めた訪問販売の仕事で、またもや周囲との違和感を感じ始めました。

女性ばかり20人程の職場でした。
毎日会う同僚の顔はすぐに覚えたのですが、名前が覚えられません。
全員の名前を覚えるのに、数年かかりました。
覚えるまでは、毎日が恐怖でした。

同様に、お客様の名前も覚えられません。
訪問販売なのに道も覚えられません。
他の人は2~3度回れば覚えてしまうのに。
休みの日に地図を片手に何度も道の確認に回りました。

帳票の計算も、何度やっても合いません。
他の人達はどんどん終わらせて仕事を進めます。
でも、私は一人で座って何度やっても合わない計算を続けていました。
泣きたくなりました。

営業では新規のお客様をどんどん開拓して、売上も上げる事ができました。
お客様の継続率も良かったです。
でも、顧客を整理して効率よく仕事を回し、手早く事務処理を済ませる事が致命的にできませんでした。
顧客が増えれば増えるだけ、仕事がさばけず、どんどん自分を追い込んでいきました。
子育てを続ける上でとても条件の良い仕事だったので長く頑張ったのですが、結局続ける事はできませんでした。

子供達が成長して、問題行動が頻発するようになりました。
児童精神科を紹介され、二人の子供達がそれぞれ発達障害の診断を受けました。
次男の確定診断を告げられた時に、医師がポツリと言いました。

あなたも恐らくADHD だよ。

何も言えませんでした。

次男の確定診断を受けとめるだけで精一杯でした。
けれど、もしそれが真実ならば、今まで感じていた強烈な違和感が何だったのか、説明が付きます。

子供達が落ち着いた頃、私は自分から希望して大人の知能検査を受けました。
結果は間違いなく発達障害だと言われました。

人が呼吸をするかの如く当たり前にできる事が、何故私にはできなかったのか。
全てが発達障害特性のせいであるとは言いきれません。
けれど、発達障害でなければ、人並みにできた事もあったのではないかと思います。

診断された時に医師に告げられた大きな特性の一つに、感覚過敏というものがありました。
私は、聴覚と視覚に過敏があると言われました。
人の脳には、必要な情報だけを選びとってインプットする能力があるのだそうです。
発達障害があると、この能力が壊れている事があるのだそうです。

感覚過敏。
必要な情報を選びとる事ができない。
ざわざわした場所で話が聞き取れないのは、これが原因でした。
私の耳は室内の音を全部拾ってしまい、会話している相手の声を聞き取る事ができなかったのです。
そして長いこと私が頭痛だと思っていた、頭の奥に感じる射し込むような刺激も、これが原因でした。
光やカラフルな色彩や、金属が擦れる音、スピーカーから響く大音量、人の話し声、車の音。
世の中に当たり前に溢れる音や光は、全て洪水の様に私を刺激し、疲弊させていたのです。
体は悪くないのに常に感じていた疲労感の正体が、やっとわかりました。
突然襲われるめまいの様な感覚は、情報過多によるパニックなのだと気付くことができました。

後に、私には自閉傾向もあると告げられました。
診断名をつけるなら広汎性発達障害になるのだそうです。
けれど私の場合、ADHD特性が強いので、ADHDを優先診断にするとの事でした。

自閉症にはそれとわかりやすい顕著な特性がみられるタイプと、私の様に不定形で特定しにくいタイプとがあります。
私の様なタイプの多くは強い違和感を持ちながら、気付かれることの無いまま生きているのではないかと思います。


今でも私は、ざわざわした場所では人の話を聞き取る事ができません。
あらゆる音や光は痛みを伴う刺激となって私を悩ませます。
でも今は、何故そうなるのかわかっているので、回避することができます。
人が当たり前にできるのに私にはできない事が何であるかも把握して、避ける事ができるようになりました。

楽に生きられるようになりました。


自閉症スペクトラムADHD、LD 等の発達障害の啓発が進んで、生きやすくなれる方が増える事を願います。