フミログ

発達障害、知的障害のことから日々の生活のことまで。

聞いてくれてありがとう 世界自閉症啓発デーコラボ企画に寄せて

nanaio.hatenablog.com

私はADHD(注意欠如多動症)だと診断されています。

双極性障害Ⅱ型、身体表現性障害という診断名もついています。

診断されたのは、大人になってからです。

 

子供の頃から、他の人が難なくやってのけることができなくて、いつももたもたして周りについていけませんでした。

毎日失敗だらけです。

何故か成績は悪くなかったので、周囲の人は誰も私に障害があるとは思わなかったでしょう。

しっかりしなさい。

やる気をだしなさい。

ふざけるな。

今でも、思い出すと耳を塞ぎたくなるくらい、毎日毎日怒られていました。

一生懸命やっているつもりです。

やる気はあります。やりたいんです。

ふざけてなんかいません。

言えるわけもなく。

泣いているのを知られると、また叱られてしまうので、お風呂の中や布団の中で毎日のように声を押し殺して泣いていました。

 

大人になっても、やっぱりぐずぐずもたもたしていて。

でも、偶然に大人の発達障害を診断できる医師と出会ったことにより、ADHDだと診断されました。

何故、私はできて当たり前のことができなかったのか。

発達障害があったから、脳に障害があったからだったのです。

 

診断されてからの私は、ずっと本来の自分を取り戻す作業をしてきました。

40年近く、自分はどうしようもなく駄目な人間、価値のない人間だと思って生きてきました。

そう思ってふてくされるしか、自分を保つ方法を知らなかったのです。

そうじゃない、障害があったから、仕方なかった。

誰も悪くはない。

私は、生きていてもいい。

ゆっくりとですが、私自身を肯定できるようになってきました。

 

私が私を肯定できれば、周囲の人も私を肯定的に受け容れてくれるようになるのでしょうか。

この歳になって、少しずつですが、友人と呼べる人ができました。

共通の趣味をもつ人だったり、子供たちを通してのママ友だったり。

彼女達には、私の発達障害のことは話しています。

話せています。

と、いうか。

聞いてくれるのですね。

別々の場面で知り合った彼女達、混じり合うことはありません。

けれど、そこが同じなのです。

彼女たちは皆一様に、私の発達障害特性の話をじっと聞いてくれるのです。

自分の主観を挟むことなくじっと聞いて、どうすれば私と共に行動できるかを一緒に考えてくれるのです。

 

私には障害があります。

目の前にいる人から、いきなりこう言われたら。とても驚きますよね。

そして、どう言えば相手を傷つけずに済むか、失礼の無い言葉はどれか、一瞬の内に考えるのだと思います。

慰めのような言葉をもらったり、障害があること自体を否定されてしまったり。

仕方のない反応だと思います。

私の友人である彼女たちも、最初はそうでした。

でも、その後は関心を持って、私の勇気を振り絞った告白に耳を傾けてくれました。

そして、障害がある私と、友人としてのひと時をごく普通に楽しむためにはどうすれば良いか、真剣に考えてくれました。

めんどくさがることも、適当にごまかされることもなく、真剣に考えて心から共に過ごす時間を楽しんでくれるのです。

長く生きてきて、初めてでした。

自分がここにいていいんだと思うことができました。

彼女達には、心から感謝しています。

 

私は、障害を持って産まれてきた自分を、二度と否定したくありません。

障害は私の一部。それを含めて、丸ごと、私です。

けれど、そのままでは、普通の生活をする事が難しいです。

なので、少しだけ、助けてもらっています。

それはお薬だったり、友人たちに一緒にランチできるお店を考えてもらったり。

デジタルの力や支援グッズを使ったり。

ほんの少しだけ助けがあれば、私はごく普通に日常生活を楽しむことができるのです。

普通になりたいとは思っていません。

普通の生活がしたいだけなのです。

 

私を丸ごと肯定してくれた人達に心から感謝を。

そしてこれからもそんな出会いを楽しみに生きていきたいと思います。

 

 

 

ADHDの私がコンサータを飲み始めて一年が過ぎました

togetter.com

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このtogetterは、一年前に私がコンサータを飲み始めた時にツイッターでした実況を、ふらカナ(@fura_kana)さんがまとめてくださったものです。

コンサータというお薬を飲み始めて一年が過ぎました。

一年経って思うことは。

普通の生活ができるようになったな、ということです。

自分がADHDであることをあまり意識しなくてよくなりました。

このお薬を飲み始めてできるようになった事を具体的にあげてみましょう。

 

私がコンサータを飲み始めてできるようになったこと

最後まで考えられるようになった

このお薬を飲み始める前は、何か考えているとどんどん色んなことが閃いて、思考があっちこっちに散らかって中々まとまりませんでした。

短期記憶の弱さから、考えている途中で何を考えていたのか忘れてしまうこともありました。

結論まで考えられた時でも、その結論を一瞬で忘れてしまうこともありました。

コンサータを飲み始めてから、考え始めたら結論に至るまで集中して思考することができるようになりました。

そうして導き出した結論を、知識として取り入れることもできているようなのです。

例えるなら、頭の中に常にもやもやと広がって視界を悪くしていた霧を、このお薬が取り去ってくれた様な感じでした。

こんなに頭の中がクリアにすっきりする事があるもんなんだなと。

ちょっと感動してしまうくらいでした。

話ができるようになった

以前の私は、文を書くことができても喋ることができませんでした。

何かを説明するときは、必要のない細かい情報まで伝えようとして肝心の事が伝わらなかったり、逆に端折りすぎて単語の羅列のようになってしまって相手を混乱させたりで、自分の言いたいことをきちんと相手に伝えるのがとんでもなく下手でした。

喋ってる途中で、喋ろうとしたことをきれいさっぱり忘れてしまって冷や汗をかくこともよくありました。

コンサータを飲み始めて、喋り始めたら、まるで文章を書いている時のように順序立てて言葉をスラスラと並べる事ができるようになりました。

何かの出来事の始終を誰かに伝えたいときに、最初から最後までを順序立てて文章で喋れた時は、とてもすっきりして気分が良かったです。

常にあった眠気、倦怠感がなくなる

私は子供の頃から、日中の眠気、だるさに悩まされてきました。

体調が悪いわけでもないのに、常に風邪のひきはじめのような、何とも言えない身体の重さを感じていました。

すっきりと目が覚めている状態なのは、年に数回あるかないかといった所でしょうか。

身体がだるくてすぐに横になってしまう、怠け者の自分が嫌でした。

コンサータを飲むと、濃いコーヒーを飲んだ時の様なすっきりした感じがあります。

それが作用時間中、ずっと継続するようなのです。

身体がとても軽いです。動けます。

一日だらだらせずに自分の思うように身体を動かせる、それが嬉しいです。

話が聞ける

これはとても大きな事でした。

私の耳は、周囲の音を全部拾ってしまって、その中から必要な情報を取り出すことができません。

マイクで録音された音を聞いたことがある方は、思い出してみてください。

常にそんな状態でしか聞き取ることができないのです。

学校などざわざわした場所では、すぐ近くにいる人の話でも聞き取ることができません。

人が多いところに行くのが苦痛で、何気ない雑談も私には苦行のようでした。

もう一つは、話を聞いている途中でそれまで聞いた話を忘れてしまったり、突然話が違う国の言語のように聞こえて意味がわからなくなることがありました。

これはあせります。

話は意識して一生懸命聞いているのに、内容が全く頭に入らないのですから。

コンサータはこういった困難も改善してくれました。

保護者会前後の雑談で、ほとんど意識することなくママ友の話を聞けたときは、話を聞くというのはこんなに簡単にできる事なのかと驚きました。

片付いた

これについては正直なところあまり自信はないのですが。

正確に言えば、以前は散らかっていることに気付いてなかったのだと思います。

物の見え方が平面的でのっぺりしていて、床に物が落ちていても見えているのに見えていない(気付かない)状態でした。

コンサータを飲むと、床に落ちているものがいきなり自己主張し始めます。

いつからそこにあった?と思うような状態です。

そして、ごく自然に、拾うんですよね。落ちている→拾うが自動でできてしまいます。

以前だったら、落ちている→考える→拾わなきゃ→拾うだったと思います。

このプロセスの途中で他のことに気を取られて拾うのを忘れてしまったり。

その落ちているものがいらないものであれば、すぐに処分することもできます。

この判断も、以前はスムーズにできませんでした。

コンサータを飲むと、ゴミはゴミにしか見えなくなりました。

そうして自動的に拾ったり、いらないものをいらないと認識して処分したりしているうちに、徐々に家の中がすっきりとしてきました。

まだ一般的に見たら全然なレベルだと思いますが、以前よりも探し物をすることがなくなり、物の居場所も決まって、生活がしやすくなりました。

 

大きくはこの様な感じでしょうか。

あとは切り替えが良くなった、物事の手順がすっと浮かぶようになった、などがあげられます。

日常生活の中で私が感じていた、発達障害特性からのストレスがかなり軽減されたことがおわかりいただけるでしょうか。

同時に、できなくなったこともあります。

 

私がコンサータを飲み始めてできなくなったこと

色や音楽や料理の味の構成がわからなくなった

以前は、物の色を再現するのに絵の具をどの程度の割合で混ぜればよいか、見ればわかりました。

その色が、何と何の色彩が重なってできているのかが見えていました。

音楽も、コーラスなら誰かが音を外せばすぐに気付くし、合奏でも同じ様に楽器単体でバラバラに聞こえていました。

料理の味付けも、食べれば何の素材でどのような調味料を使ってどのくらい火を通したかなどがだいたいわかりました。

これらの事が、わからなくなりました。

色は見えているその色でしか見えないし、音楽は一塊の音でしかないし、料理は食べたらおいしいだけになりました。

私に生来あった感覚過敏という特性が、コンサータで軽減されたのだと思います。

世の中の見え方が、少しつまらなくなってしまいました。

絵画を見た時や、美しい音楽を聞いたときにその世界に巻き込まれるような感動を、感じなくなってしまいました。

でもこの感覚過敏というものは、とても疲れるものでもあって。

同じものを見聞きしても、キャッチする情報が多すぎるのですね。

刺激に極端に弱くなってしまいます。

少し世界がつまらなくなってしまったけど、生活する上では楽になれたので、私は現状に満足できています。

大食いできなくなった

私はかなりの大食いでした。

でも、コンサータを飲み始めて、食が細くなりました。

これは副作用だと思います。

私は大食いにストップがかかってありがたいのですが、食べることが大好きな人や元々食が細い人は、このコンサータの副作用は辛いものになるかもしれません。

 

感覚的なアンテナの受信が悪くなった事が一番の変化かも知れません。

でも、それは言い換えれば鋭すぎたアンテナの感度を下げて受信する情報を減らし、情報過多から私を守ってくれる効果でもあるのです。

 

気を付けた方が良いと思うこと

動きすぎ要注意

コンサータを飲み始めて一番強く感じたのは、とにかく身体が軽くなったということでした。

今までは重い身体によっこらしょと力を入れて動かしているような感じだったのが、思うだけですっと身体が反応して動きます。

軽いです。

これがとてもうれしくて。

つい、あれもこれもと欲張って動きすぎてしまうのですね。

でも、コンサータは12時間で効果が切れてしまうお薬です。

12時間たてば元通り。鉛のように重い身体をよっこらしょと動かさなくてはいけません。

そこに、一日休みなく動いた分の疲労がどっと押し寄せます。

立ち上がるのさえしんどい状態になってしまいます。いわゆる電池切れですね。

この電池切れを防ぐために、日中に動きすぎないこと、適度に休憩を入れることが大事だと思います。

まだ、やれる、というところでストップをかける習慣を付けると良いと思います。

私はこれができるようになるのに結局一年かかってしまいました。

今では電池切れすることは滅多になくなりました。

疲労がベースにあると効かない

元気に動き回った翌日、疲れがとれてないことはありますよね。

どうも、その状態でコンサータを飲んでも、あまり効かないみたいなのです。

風邪をひいたりして体調が悪い時も、あまり効かないみたいです。

コンサータの効果を十分に発揮するならば、規則正しい生活をして、無理をせず、疲労を翌日に持ち越さないことが大事だなと思いました。

適正な量に調整する

お薬なので、当然、適正な量はそれぞれ違います。

足りなければ当たり前ですが全然効きません。

逆に多すぎると副作用が強く出たり、私の場合は頭が働きすぎて辛くなりました。

思考が止まらない、思考の多動のような状態でした。

医師と一緒に丁寧に自らをモニタリングして、適正量を見つけて欲しいと思います。

副作用、私の場合

まず最初に感じたのは食欲不振でした。

食べることが大好きでいくらでも食べられたのですが、食べなくても平気になりました。

お子さんや痩せ気味の方、元々食が細い方は要注意の副作用だと思います。

ただ、これも服薬を続けていると、だんだん無くなってくるようです。

今ではちゃんと空腹を感じて、一人前たいらげるようになりました。

もう一つは、口の渇きでした。

これは最初のうちは辛かったです。

水分をとっても全然口の中が潤いませんでした。

でもこれも長く服薬している内に軽減したように思います。慣れもあるかも知れません。

あと頭痛などもありましたが、最初の数日間でなくなりました。

コンサータはお薬なので、副作用はあります。

作用と副作用のバランスを考えながら、医師と相談して服薬を進めて欲しいと思います。

 

以上、思いつくままに今現在の私がコンサータについて思うことを並べてみました。

ここに書いたことはあくまでも私個人が感じたことであって、お薬の作用、副作用の現れ方は十人十色だと思います。

服薬は信頼する医師と十分に検討を重ねた上で進めて欲しいと思います。

 

 

発達障害の薬物療法?ASD・ADHD・複雑性PTSDへの少量処方

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「大人のADHD」のための段取り力 (健康ライブラリー)

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私って障害者なんだ



twitterで色んな方の呟きを拝見してて、時々複雑な気持ちになります。

私と似た特性を持っていても、社会に適応し、二次障害も起こさずに普通に生活していらっしゃる。

やっぱり、私は頑張りが足りないから、障害者になったのかなあとか。

障害者になる事が良いか悪いかの話ではないのです。

なんというか…障害者になる事を「選ばない」生き方もあったのかなあと。

私が障害者になったのは、自分で選んでそうなったのか、必然的にそうなったのか、よくわからないのです。

いつの間にかそうなっていた、という感じで。

私は健常の世界に適応できていないかといえば、そうでもありません。

学校や町内の役員もやらせて頂いているし、長男に深刻な二次障害が無ければ仕事もしていたと思います。苦手ですが、家事もそれなりにやっています。学校行事にも極力参加しています。

でも、今の私は障害者です。

必然だったのかなあ。

我慢ってどこまでするものなんでしょうか。

頑張るのはどこまでなんでしょうか。

皆しんどいのに私は楽しようとしてるんじゃないのかなあ。

わからないのです。

 

発達障害って、そんな障害なんですよね。

頑張ればできる。でも、ずっと頑張っていないといけない。

聞き逃していないか。見逃してないか。忘れてないか。失言していないか。

ずっと緊張しています。

障害がなければ、こんなに緊張しなくても社会に適応できるものなのでしょうか。

 

二次障害のせいか特性のせいなのかわかりませんが、調子のいい時と悪い時とでとても差があります。

悪い時は一日のほとんどを寝て過ごすような感じで、考えることもままならない感じなのですが、調子が良くなると、我に返る様な感覚があるのです。

何もできない、何もしてない自分が嫌で、焦った気持ちになります。

自分を受け入れることなど全然できてないのだなあと思います。

多分、この現状に満足できず、自分を追い詰めるたまらない焦燥感は特性なのだと思います。

衝動性丸出しで多動全開だったころは、こんな状態になると即行動に移していたのですが、今は特性を抑える薬も飲んでいるし、年齢を重ねることで衝動と多動は抑えられています。

代わりに頭の中ではぐるぐるもやもやと言葉にできない何かが蠢くようになりました。

 

こんな時どうするか。

今の状態はよく言われる脳内多動、思考の多動とは違うもので、体に出る多動を無理に抑えるとでてくる強い不安の一つの形なのだと思います。

なので、意図的に体を動かします。ウォーキングや家事などで軽く体を動かすとスッキリします。

好きなことに没頭することもよいみたいです。過集中は疲れますが、頭の中はスッキリします。

趣味でも仕事でも、好きなことや、強いやりがいを感じられる何かがあることは、人を強くしますね。

どこにも所属せず、生産的な作業を何もしていないと、不安がどんどん増えていって、足元を危うくします。

発達障害があると、不適応を起こしやすいので、そういった何か生産的な活動をしたいという欲求が満たされにくくなるのかもしれませんね。

好きなことに没頭することは、そういった欲求を満たすことに繋がるのだと思います。

特性があると、何かを極めたりするのが大好きですよね。

私もモヤモヤしてる暇があったら、自分の好きなことを極めたいなと思います。

 


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 お散歩に行ってきました。

寒かったけど気持ちよかったです。

元気に体を動かせるのはありがたいですね。

明日は趣味の時間がとれると良いなと思います。

 

今飲んでいるお薬

私は精神科クリニックでお薬を処方してもらっています。

今飲んでいる薬はコンサータエビリファイ、ベルソムラ。

コンサータADHDのお薬、エビリファイは感情をフラットにするお薬、ベルソムラはぐっすり眠るためのお薬です。

私はADHDという発達障害を持っています。

診断されたのは成人になってから。子供たちの診断がきっかけでした。

発達障害による二次障害も複数発症しています。

私が薬を飲むのは、発達障害による日常生活が上手くいかなくなってしまう特性を抑え、二次障害による苦しい症状を抑えて、普通の生活を送るためです。

 

薬が無ければどうなるか。

私の脳は、刺激の選択ができません。必要な情報だけを選んで取り込む機能がありません。

例えば聴覚の場合。

誰かと一緒に電車に乗ったとして。すぐ隣にいる人とも会話することが難しいです。

私の耳は、電車内に溢れる全ての音を拾います。

機械の音や金属音、人の話し声、足音など。

すぐそばにいる人に話しかけられても、こちらを向いて口をパクパクさせているようにしか見えません。

電車だけではなく、ざわざわしている場所では全てそんな状態です。

大きな音も、そのまま耳に飛び込んできます。

脳が震えるような衝撃があります。

視覚も同様です。光や色は頭にダイレクトに刺さるような感覚で飛び込んできます。

眼に映るもの全てに反応して頭の中がとても忙しくなり、ぐったりと疲れます。

 

お薬の効果の一つに、脳のフィルター効果というのがあります。

薬が効いてくると、音や光などの日常どこにでも溢れている、けれど私にとって耐え難い刺激をフィルターをかけるようにカットしてくれます。

初めて薬の効果を実感したときは衝撃でした。

ざわざわしたところで話ができる。BGMがかかっている場所で、音楽が気にならない。大きな音や光が頭に刺さらない。カラフルなものを見ても気持ち悪くならない。

街に出ても寝込んだりするほど疲れることもありません。

リビングで家族とテレビを見ることも苦痛ではなくなりました。

これが普通の生活なんだ。

改めて思いました。

 

刺激をたくさん取り込んでしまうのに、それを処理する能力が弱く、すぐにキャパオーバーになってしまいます。

そして疲れ果ててダウン。この繰り返しでした。

いつも具合が悪くて、何かするとすぐ疲れてしまいます。

頭の中は霧がかかったような感じで考えもまとまらず、何か思いついてもすぐ霧の中に隠れてしまって思い出せなくなってしまいます。

毎日身体はぐったり、頭の中はもやもやして、何かしていても上の空で集中できません。常に眠気もあります。

私は何て役に立たない駄目な人間なのだろうと思っていました。

コンサータという薬は、この頭の中の霧を消してくれる薬でした。

この薬は効き目がはっきりしています。私の場合、飲んで一時間ほどでいきなり頭の中がすっきりして、何だか視界がクリアになります。

今まで平面的にしか見えてなかったのがいきなり立体的になる感じです。

頭の中のすっきり感は、濃いコーヒーを飲んだ時の感じに近いと思います。

そしてその日やらなければならないことが頭に浮かび、どうすればそのタスクを処理できるかまで思いつきます。

薬の効果でキャパを広げ、タスクを処理できるようになっているのですね。

タスクといっても大したことではありません。

毎日の家事や出かける用事などです。

そんな事でもどうしていいかわからなくなるのが私が持っている障害です

 

私が薬を飲んで得られたものは何か。

朝起きて家事をし、出かける用事をすませて、夕方には食事を作り、家族と夕飯を食べて入浴して夜はぐっすり休む。

空き時間があれば自分の好きなことをする。

普通の生活です。

特別なことはできなくていいから、普通の生活ができればいいなあ。

ずっとそう思っていました。

薬で障害は治りません。薬を飲まなければまた特性が強くでるでしょう。

薬を飲んでも完全に特性や症状が消えるわけではありません。どうしようもない事も、ADHDの特性丸出しの失敗もあります。

でも、薬を飲んでいる限り、私は自分のことを役に立たない駄目な人間だと思わなくてすんでいます。

人間らしい生活ができています。

今はそれで十分です。

 

最近は薬の調整が上手くいかなくて、思うように自分を動かすことができていませんでした。

先日の通院で薬の量の調整をしたら、ようやく私の適正な量になったらしく、家事をして、こうして記事を書く意欲もでてきました。

ぐったりした毎日ではなく、また活動的な自分を取り戻して、少しずつでも自分の好きなことに取り組みたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

口唇裂の再手術


14年前のこと。

次男を出産した際、分娩台の上で最初に言われた言葉は、おめでとうございますでも元気な男の子ですでもなく、口唇裂があります、という言葉でした。

は?

出産を終えたばかりで声もまともに出せない状態です。

コウシンレツ?

初めて聞いた言葉でした。

黙っている私に、医師は更に説明を続けます。

唇の端が少し切れている状態です。手術が必要かどうかはまだわかりません。

手術?

確かこの後、この病気が発生する割合などについて早口で説明され、こくりと頷いたところで次男の顔を初めて見せてもらいました。

産まれたての、可愛らしい顔にしか見えませんでした。

出産後、部屋で休んでいる私のもとへ、次男を取り上げてくれた助産師さんが来てくださいました。

赤ちゃん、新生児室で外から見えてもいいですか?と聞かれました。

意味がわかりませんでした。

その病院の新生児室はガラス張りになっていて、誰でも赤ちゃんを眺めることができるようになっています。

助産師さんは、口唇裂の次男の顔を他人に見られないようにしましょうか?と言いに来られたのです。

私はまだ次男の顔をまともに見ていない状態でした。

構いませんというと、すみません、口唇裂だと気にされるお母さんもいるので皆さんに確認してるんです、と言って出ていかれました。

これからどうなっていくのか、胸の内は不安で一杯でした。


口唇裂とは、唇が鼻の下まで裂けた状態で生まれてくる病気です。

片側だったり、両側だったり。

裂けている長さも様々で、口唇口蓋裂といって口腔内と鼻腔がつながってしまっているケースもあります。

口蓋裂単独のケースもあるようです。

次男の場合はごく軽度の片側口唇裂との診断でした。


次男は生後四ヶ月で口唇形成術という手術を大学病院の口腔外科で受けることになりました。

小さな口元にメスを入れると思うと、それはそれは恐ろしかったです。

包丁で肉や魚を刻むときに、イヤなイメージが頭に浮かんで、鳥肌が立つほどの恐怖感を覚えました。

授乳はどうするんだろうか。発語は?摂食は?

不安との戦いの日々。

私が不安に負ければ、子供達まで不安にのまれてしまいます。

次男の顔を見ながら、毎日大丈夫だ、上手くいくはずだと自分を奮い立たせていました。

幸いにして手術はとても上手くいって、次男はきれいな唇を作ってもらうことができました。

授乳や摂食や発語も問題ありませんでした。


そして時は流れて、中学に入学した年の大学病院での定期検診の時。

いつもの様にドクターがじゃあ今年も手術はしなくていいね?というと、次男は突然、いえ、します、と。

え?

私は開いた口が塞がらないような状態になりました。

今まで全くその様な事を言って無かったのに、一年に一回の定期検診で、診察室の中でいきなり手術をすると言い出したのです。

聞けば、友達から唇の傷痕が何かと聞かれる事が多くなってきたそうで。

今よりも目立たないようにする事ができるなら、そうしたいと言うのです。

そうか、それならそうしようかと。

二度目の手術は翌年、中二の夏休みに受ける事になりました。


そして今年の8月。

夏休みを利用して、十一日間の入院を伴う手術を受けました。

結果をいえば大成功で、元々さほど目立たなかった口唇の傷痕がきれいに修整されて、全く目立たなくなりました。

次男は入院前、学校の友達に手術の事を話さなかったそうです。

でも、術後一週間で退院して翌日の始業式の為に登校しても、誰も次男が再手術をした事に気が付かなかったそうです。

術後一週間で、そこまで傷口が目立たなくなるのですね。

術後の経過も順調でした。

全身麻酔での手術だったのですが、次男は手術当日の夕食をほぼ完食してスタッフを驚かせました。

そのまま大きく体調を崩す事はありませんでした。


次男が最初の手術を受けてから、もう一度手術をするか、しないか。

ずっと頭の隅に引っかかっていました。

口唇口蓋裂自立支援医療(育成医療)を受けられます。

18歳までの手術ならば医療費の補助を受ける事ができるのです。

18歳という期限が迫るにつれて、どうしようかと頭を悩ませる日々。

そこに次男自身があっさりと決着をつけてくれました。

今の技術は素晴らしいです。

私の不安など吹き飛ばすハイレベルな医療を受ける事ができました。

そして、その次男の心意気に高い技術と細やかなケアで応えてくださった病院のスタッフの皆さんに心から感謝致します。


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この病気は発症頻度の割合が高いのに、はっきりした原因はわからないままなのだそうです。

原因がわかったとしても、発症するのはまだ妊娠に気付かないくらいの早い段階なのだそうで、防ぐ事は難しいと思われます。

顔面に傷痕が残るので一目瞭然、隠そうとする事すらできません。

心無い言葉で当事者や御家族を傷付ける事が無いように、より多くの方にご理解頂ける事を願います。






 

 

 

こだわりとの戦い〜お弁当編

独身で会社勤めをしていた頃は、毎朝お弁当を作って通勤していました。

お昼に質素なお弁当をつつく私に、年配の男性の同僚達は弁当がいいなあ、自分も弁当が食べたいなあと。
大した弁当じゃないし、お金がないから作ってるだけだという私に、彼等は弁当が一番いいと。
彼等曰く、自前の弁当の良い所は考えなくて良いことだと。
忙しい仕事の合間の昼休憩、何を食べようか考えるのは正直な所、煩わしいです。
自前のお弁当だと考える必要はないですよね。
もう一つは、自作弁当だと飽きないと。
出前をとるのもお弁当を頼むのもコンビニも、すぐに飽きてしまいます。
食べに出る程の時間も気力もありません。
新人社員に課せられた大事な仕事の一つに、美味しい出前の店をみつけてくることというのがある位に、皆毎日の昼食に飽きていました。
あとは食べやすさ。
仕事が忙しいと、昼休憩をきちんととれないことがあります。
自前の弁当なら、好きなもの、食べやすいものを詰めておけば、飽きる事もなく、時間がなくてもさっと広げて食べる事ができます。
彼等の話を聞きながら、弁当というものは
①時間がなくても仕事の事で頭が一杯でも食欲がなくても、仕事しながらでも食べられる食べやすさ。
②食べれば美味しいとわかっているいつもの味の安心感。
この二つが大事なんだな、というのがわかりました。
 
時は流れて。
現在の私はほぼ毎日、家族の誰かの為にお弁当を作っています。
発達障害特性を持つ我が家の家族、お弁当も何でもいいわけではないようです。
 
まずは発達障害特性上、強いこだわりを持つ旦那。
なんかイヤ、という五文字のクレームを訴えられ、何が嫌なの?と聞くと応えられないという、禅問答の様なやり取りを繰り返しました。
こだわりからの不快感なので、本人にも何が嫌なのかよくわからないのです。
長年のバトルの末に出た結論は。
①お弁当箱は二段重ねではなく、全体が見通せて手に持って食べやすい一段のもので。
②おかずは卵焼きとウインナーの他二品、計四品以上入れない事。
③ご飯は多めに。
④一目見て味が想像できないものは入れない。
⑤残り物のおかずは入れない。
この条件を満たせば、クレームが出ない事がわかりました。
卵焼きは手作り、ウインナーは彼の好みのものを入れておけば、あとはチンするだけの冷凍食品でもOKです。
長い事私は、旦那のこだわりはおかずにあるのだと思っていました。
手のこんだおかずを詰めることを望まれているのだと勝手に思っていたのです。
そうではなくて、旦那はお弁当箱のフタを開ける前から何が入ってるか想像できる、つまり見通しが立てられる安心感が欲しかったのです。
その事に気が付いて、上記の条件を満たしたものを詰めるようにすると、文句を言わなくなりました。
何だ、簡単だったんじゃない、と力が抜ける様な思いでした。

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長男の場合は量とご飯の温度でした。
長男は少食なのに、こだわりからのこすのを嫌がり、無理に完食しようとします。
でも、彼の要望通りだと、本当に小さなお弁当箱になってしまいます。
痩せた長男はしっかり食べなければ体力が保ちません。
どうすれば食べられるか色々試行錯誤の結果、彼の場合はランチジャーの温かいご飯で、おかず多めのご飯少なめにすればある程度の量が食べられる事がわかりました。

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次男は旦那と同じ特性を持っていて、お弁当箱が分かれていると食べにくいようで、一段のお弁当箱にすれば食べやすいとの事でした。
全体が視野の中に収まり、見通せる事が彼にとっても大事な事であるようです。 
味覚に過敏がある次男はご飯にふりかけなどがかかってないことも大事でした。

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TwitterのTLで、また保護者同士の雑談の中で、お弁当が大変だという話をたまに聞きます。
お弁当に求めるものは、その人の性格やこだわりや好みで違ってくると思います。
凝ったお弁当でなくても、実はこういうものを作って欲しかったんだというツボがわかって、シンプルに考えられれば少しはハードルが下がるのではないかと思います。
 
一番しんどいのは、前日、明日の朝早起きして作らければいけないというプレッシャーなのではないでしょうか。
私はそうです。
自分で自分のハードルを上げてしまうのですよね。
でも、食べる方は難しいことは何も考えずにお弁当を広げているのだと思います。
作る方も難しく考えずに取り組めると楽になるのではないかと思うのですが。
 
しょうもないお弁当画像を晒していますが、私が作っているのはこんな感じの、全然力が入ってないものです。
作る時間はだいたい20分くらい。
この食べやすさが、彼らには好評です。
私のお弁当画像で、勇気が出る方が一人でもいらっしゃれば幸いに存じます。
今は便利な食材がたくさん売られています。
冷凍やレトルトも賢く使って、気軽にお弁当作りにチャレンジされてはいかがかなと思います。
 
最後になりますが、試合を家族で見に行った時のお弁当の写真も、恥をしのんで置いておきますね。
運動会弁当とは少し違いますが、こんなレベルなんだと皆さんが元気になってくだされば良いなと思います。

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9月1日を前に


「図書館に居る子を見逃せない」と思った方へ - スズコ、考える。

最近、Twitterで9月1日に学校へ行くのが辛いなら図書館へ行こう、という呟きを多く見かけます。

我が家にも、不登校の子が居ます。
現在17歳、特別支援学校高等部二年生の長男は、小学校の頃から毎年、11月に入ると調子を崩しはじめ、徐々に一人で居られない状態になります。
そして学校に行けないだけでなく、家から出られなくなります。
発達障害の二次障害が、長男を外に出られないようにしてしまうのです。
ここ数年は入院する様にもなりました。
入院期間は徐々に長くなっています。

長男に、学校に行けない時に図書館に行く?と聞いてみました。
長男は行かない、ときっぱりと言いました。
行かないの?どこにも行きたくないから?と聞くと、いや、そうじゃないよ、図書館に行くんじゃなくて、自転車に乗りたい、と応えました。

長男は自転車が大好きです。
学校も大好きです。
学校に行けないなら、自分の好きな事がしたいのだそうです。
長男は、車と自転車が大好きです。小学校の頃からやっている水泳を頑張っています。
学校にも行けず、外にも出られなくなる長男を支えているのは、彼自身が好きな事、頑張っている事なのだと思います。

本が好きなら、図書館に行けばいいと思います。
自転車が好きなら、自転車に乗ればいいと。
水泳が好きなら、泳げばいいと思います。
好きな事があるならば。
では、ない場合はどうすればいいでしょうか?

考えても応えは見つかりません。
好きな事があれば、学校へ行けなくても、好きな事をする為に外に出ます。
でも、ない場合は、家から出る用事が無くなりますよね。

好きな事って大事だなあと本当に思うのです。 
知的重度の療育手帳を持ち、読み書き困難の特性を持つ長男は、学習機会を十分に得ることができませんでした。
コミュニケーション能力だけが飛び抜けて高い彼は、笑顔で車と自転車が好きで、水泳ができて良かったと言います。
親として、救われます。
元気になったらまた思いっきり好きな事をする、という気持ちが、長男の辛い冬場を乗り越える糧になっているのだと思います。

学校に行けない時期が過ぎて、いざ登校という時になっても、いつも体力的に適応するのが厳しいです。
そこで今年は退院してから、地道なチャレンジをしてみました。
去年まで、不登校期間は休憩とみなして、生活のペースも本人の好きなようにさせていました。
けれど、今年は私が軽いノルマを長男に与えてみました。
元々、食器洗いや掃除等の家事はよく手伝ってくれます。
それを余程具合が悪くない限り毎日きちんとする様に強制しました。

もう一つは毎朝のウォーキングです。
朝起きてすぐに20分程近所を歩くように言いました。
雨の日も傘をさして行かせました。
一週間程過ぎたあたりから、自分から歩きに行ってくる、と言って行くようになりました。
雨でも傘を持って歩きます。
ウォーキングは、本人にもはっきりわかるくらいに効果が現れたそうです。
日に日に体が軽くなって行ったそうです。
ウォーキングと合わせて、ipadのアプリを使って7分間のストレッチもノルマにしました。

ipadの勉強アプリを使って、毎日30分学習する事もノルマにしました。
何のアプリをするかは本人に任せたのですが、ほとんどローマ字入力のアプリをやっていた様です。
そのせいかどうかはわかりませんが、登校した際に担任から、ローマ字入力がとても早くなったとほめられたそうです。
ipadを使いこなす為に、生活の中でわからない事は細かく検索する事も言い続けました。
ローマ字入力が早くなったのは、検索を自分でする様になったからかも知れません。

朝は遅くとも7時までに起きて、夜は10時には寝るようにしました。
昼寝はできるだけしない様に。
食事は食べられる時に食べていいことにしました。

ノルマを作ってから、長男の顔色がみるみる良くなりました。
身体を動かして規則正しい生活をするのは大事な事なのですね。
改めて実感しました。
けれど。
忘れてはならないのは、学校に行けない時は、休まなくてはならない期間であるということです。
ノルマを作るなら、本人の負担にならないレベルにしなければなりません。
しっかり身体を休められる事が大前提です。

そして周囲の理解を得ること。
長男は学校に行けない時期に自転車で近所を走っていたら、警察官に学校は?と声をかけられたそうです。
今は行けてません、と応えると、そう、気を付けてね、と言われて終わったそうです。
普通だったら考えられない対応ですよね。
長男には普段から、何かあったら療育手帳を出して周囲の人に助けを求める様に伝えています。
交番には時々道を尋ねる為に顔を出していたので、地域の警察官の方は長男の顔を覚えてくれています。
だからこういった対応になったのだと思います。
以前から、主治医から何かあった時の為に交番には挨拶に行く様に、と言われていました。
不登校中に無駄に補導されて心の傷を増やす前に、そういった配慮を求めてもいいかも知れません。

発達障害児は、とても刺激に弱いです。
脳の、余計な刺激をカットするフィルター機能が生まれつき無いからです。
生まれつき無いのだから、どれだけ時間がたっても環境に慣れて平気になる事はありません。
学校は様々な刺激に溢れています。
音や色彩、文字情報、喋り続ける先生や友達、突然変わる予定、動きが予測できない子供達、エアコン無しの窓を開け放った明るすぎる教室。
どれも、発達障害児にとっては耐え難い刺激です。
それらの刺激は、時に彼らの集中力を奪い、苦痛を与えます。
学校が嫌いなわけでは無いのに、彼らはそこに居ることが難しいのです。

今日は何だか体調が悪い、今日学校に行ったら先生の大きな声が絶対頭に刺さる…。
音が頭に刺さるのは辛いです。耳を塞ぎたくなります。
そんな風に登校中にふと思ってしまったら。
逃げ出したくなります。
今日一日、刺激の洪水の中でパニックにならないように頑張らなければならない、いつも頑張ってるけど、今日はもっと頑張らなければならない。
発達障害が無い方には、この感覚は中々ご理解いただけないようなのです。
一部の先生方はそれを我儘、我慢が足りないと捉えて無理に活動に参加させようとされるのだとか。
大声で叱りながら。
お子さんでは、脳機能について説明することはもちろん難しいでしょうし、自分の状態を言語化する事も十分にできません。
そんな時、私達が子供達にできる指導は、回避する事です。
逃げる事ですね。
これは専門家に相談してもそのように指導される、きちんとした対応です。
刺激に弱い子供達には、パニックを起こす前にクールダウンする為の逃げ場が必要です。
そうしなければ、どんどん追い詰められてしまいます。

新学期を前に、また刺激の洪水に晒される事に恐怖を覚えている発達障害児のことを思います。
お友達が嫌いなわけじゃ無いのに、何故か教室に居るだけでどんどん疲れて、気分が悪くなってしまう…。
いや、ひょっとしたら大丈夫かも知れない、大人が言うように、学校に行けば慣れるかも知れない。
そう思って勇気を出して登校している朝、嫌いなわけでは無いお友達の声が聴覚を鋭く刺激してしまったら。
逃げ出したくなる時もあります。
そんな気持ちを受け止めて、ほんの少しの間だけ、落ち着きを取り戻す為のクールダウンエリアとして機能してくれる場所が図書館だったら、素敵だなあと思いました。
そんな場所があったら、長男も今の様にはならなかったかも知れません。

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どうしても辛い時は逃げる事も一つの手段である。
好きな事があれば学校に行けなくても自信を失わずに生きていける。

9月1日を前に、この2つを、ここに置いておきたいと思います。