口唇裂の再手術
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14年前のこと。
次男を出産した際、分娩台の上で最初に言われた言葉は、おめでとうございますでも元気な男の子ですでもなく、口唇裂があります、という言葉でした。
は?
出産を終えたばかりで声もまともに出せない状態です。
コウシンレツ?
初めて聞いた言葉でした。
黙っている私に、医師は更に説明を続けます。
唇の端が少し切れている状態です。手術が必要かどうかはまだわかりません。
手術?
確かこの後、この病気が発生する割合などについて早口で説明され、こくりと頷いたところで次男の顔を初めて見せてもらいました。
産まれたての、可愛らしい顔にしか見えませんでした。
出産後、部屋で休んでいる私のもとへ、次男を取り上げてくれた助産師さんが来てくださいました。
赤ちゃん、新生児室で外から見えてもいいですか?と聞かれました。
意味がわかりませんでした。
その病院の新生児室はガラス張りになっていて、誰でも赤ちゃんを眺めることができるようになっています。
助産師さんは、口唇裂の次男の顔を他人に見られないようにしましょうか?と言いに来られたのです。
私はまだ次男の顔をまともに見ていない状態でした。
構いませんというと、すみません、口唇裂だと気にされるお母さんもいるので皆さんに確認してるんです、と言って出ていかれました。
これからどうなっていくのか、胸の内は不安で一杯でした。
口唇裂とは、唇が鼻の下まで裂けた状態で生まれてくる病気です。
片側だったり、両側だったり。
裂けている長さも様々で、口唇口蓋裂といって口腔内と鼻腔がつながってしまっているケースもあります。
口蓋裂単独のケースもあるようです。
次男の場合はごく軽度の片側口唇裂との診断でした。
次男は生後四ヶ月で口唇形成術という手術を大学病院の口腔外科で受けることになりました。
小さな口元にメスを入れると思うと、それはそれは恐ろしかったです。
包丁で肉や魚を刻むときに、イヤなイメージが頭に浮かんで、鳥肌が立つほどの恐怖感を覚えました。
授乳はどうするんだろうか。発語は?摂食は?
不安との戦いの日々。
私が不安に負ければ、子供達まで不安にのまれてしまいます。
次男の顔を見ながら、毎日大丈夫だ、上手くいくはずだと自分を奮い立たせていました。
幸いにして手術はとても上手くいって、次男はきれいな唇を作ってもらうことができました。
授乳や摂食や発語も問題ありませんでした。
そして時は流れて、中学に入学した年の大学病院での定期検診の時。
いつもの様にドクターがじゃあ今年も手術はしなくていいね?というと、次男は突然、いえ、します、と。
え?
私は開いた口が塞がらないような状態になりました。
今まで全くその様な事を言って無かったのに、一年に一回の定期検診で、診察室の中でいきなり手術をすると言い出したのです。
聞けば、友達から唇の傷痕が何かと聞かれる事が多くなってきたそうで。
今よりも目立たないようにする事ができるなら、そうしたいと言うのです。
そうか、それならそうしようかと。
二度目の手術は翌年、中二の夏休みに受ける事になりました。
そして今年の8月。
夏休みを利用して、十一日間の入院を伴う手術を受けました。
結果をいえば大成功で、元々さほど目立たなかった口唇の傷痕がきれいに修整されて、全く目立たなくなりました。
次男は入院前、学校の友達に手術の事を話さなかったそうです。
でも、術後一週間で退院して翌日の始業式の為に登校しても、誰も次男が再手術をした事に気が付かなかったそうです。
術後一週間で、そこまで傷口が目立たなくなるのですね。
術後の経過も順調でした。
全身麻酔での手術だったのですが、次男は手術当日の夕食をほぼ完食してスタッフを驚かせました。
そのまま大きく体調を崩す事はありませんでした。
次男が最初の手術を受けてから、もう一度手術をするか、しないか。
ずっと頭の隅に引っかかっていました。
18歳までの手術ならば医療費の補助を受ける事ができるのです。
18歳という期限が迫るにつれて、どうしようかと頭を悩ませる日々。
そこに次男自身があっさりと決着をつけてくれました。
今の技術は素晴らしいです。
私の不安など吹き飛ばすハイレベルな医療を受ける事ができました。
そして、その次男の心意気に高い技術と細やかなケアで応えてくださった病院のスタッフの皆さんに心から感謝致します。
この病気は発症頻度の割合が高いのに、はっきりした原因はわからないままなのだそうです。
原因がわかったとしても、発症するのはまだ妊娠に気付かないくらいの早い段階なのだそうで、防ぐ事は難しいと思われます。
顔面に傷痕が残るので一目瞭然、隠そうとする事すらできません。
心無い言葉で当事者や御家族を傷付ける事が無いように、より多くの方にご理解頂ける事を願います。