フミログ

発達障害、知的障害のことから日々の生活のことまで。

ADHDはふてくされさせないようにしてほしい

これは私が何度もつぶやいているツイートです。

これに対して、ふてくされているというのがよくわからない、とか、ふてくされさせないとはどうすることなのかというコメントをいただきました。

ふてくされるというのは。

一般的には、不平不満があって、投げやりだったり反抗的だったりすることをいいますね。

では、ADHD特性を持っている人がふてくされたらどうなるでしょうか。

 

私自身もADHDです。大人になってから診断されました。

子供の頃から、怒られてばかりでした。

毎日忘れ物をする。授業に集中できずに勝手におしゃべりしたり、突然発言したり。

ぼーっとしているうちに授業がどんどん進んで、周りが作業に取り掛かっても何をするのかわからなかったり。

通知表にはいつも、落ち着きがありませんと書かれました。

 

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 大人になってからも、怒られる日々は続きました。

私自身は一生懸命やっているだけなんですよね。

怠けているつもりなんかもちろんないし、何事にも全力投球。真剣にやっています。

でも、どうしても皆が当たり前にできることができませんでした。

自分に障害があるなんて思いもしなかったので、自分の頑張りが足りないんだとしか思いません。

できなくて、怒られて。だんだん、悩むことも面倒になってきます。

考えても同じ。できないことはどうしてもできない。

どうせできない。考えるのも疲れた。私が怒られれば済むこと。私が駄目だからできないんだ。

どうせ、できないし、誰も助けてなんかくれない。私のことなんかわかってくれる人はどこにもいない。

皆簡単に何でもできていいね。私はどうせ頑張ってもできないし。私の気持ちなんてわからないよね。

全部私が悪いんだよね。

ふてくされたADHDのできあがりです。

こうなると、あとは考えることもしなくなります。

特性からの思い込みの激しさと切り替えの悪さで、自ら蓋を閉じてしまいます。

親切なアドバイスをしてくださる方がいても、馬鹿にされてるからこんなこと言われるんだ、皆、私のいないところで私のことを笑ってるに決まってる、としか思えませんでした。

そんなわけないんですよね。仮に現実にそんなことがあったとしても、自分に関わってくるすべての人が自分を馬鹿にしているなんてありえません。一握りの人だけです。

でも、生来の思い込みの激しさから、頑なにそう思い込んでしまって、自分の中に閉じこもってしまいました。

そう。コミュニケーションもまともに取れなくなるのです。

相手は自分を馬鹿にしてると思い込んでいるので、何を言われても信じられません。

きちんと話を聞くこともできなくなっていました。

さらに思い込みが激しくなると。

自分は一生懸命やっている→間違ったことをしているわけではない→自分は間違っていない→理解しない周りが悪い、という何とも極端で攻撃的な考え方になってしまうケースもあるようなのです。

ここまで歪んだ考え方になってしまうと、修正するのはとても難しいです。

私が思いつく限りでは、誰かに頼んで丁寧に信頼関係を築き、人を信じる気持ちを取り戻し、自らを客観的にみて、歪みに自分で気づいて修正していく、といったところでしょうか。

書くのは簡単ですが、実際にやるのは途方もない時間と労力が必要な作業であることが想像できます。

それに、こんなことをやってくれる人には中々出会えないと思うのです。

専門家に頼れれば一番いいと思うのですが、長いスパンで専門的に見てくれる専門家とはなかなか出会えません。

だから。

こうならないように。

ふてくされさせないでほしいと思うのです。

 

どうしたらふてくされてしまうのか。

追い詰められてしまうことですよね。

長いこと怒られすぎたことも一つの原因だと思います。

成功体験が極端に少ないということも。

もう一つ思い当たるのは。

孤独であるということです。

心を許すという経験は、信頼できる相手がいなければできません。

不器用で失敗経験の多いADHD当事者の中には、信頼して心を許せる相手に出会えなかったり、信頼とか心を許すということ自体がどういうことなのかわからない人もいるのではないかと思うのです。

一人で思い詰めて、自らを追い込んで。なぜうまくいかないのかという、出ない答えをふてくされることにおきかえて。

どんどん孤独になっていくのだと思うのです。

 

ふてくされたADHDをつくらないために。

まず当事者は、どうせ無理だし、どうせできないし、という考え方をしないでほしいと思うのです。

できないことはできません。でも、できることなら、できます。

できないことでも、工夫すればできることもあります。

めんどくさがりADHDさんだけど、できることさがしと、できるようにするための工夫をすることは頑張ってほしいなあと思うのです。

それと、できなければ人を頼るということもとても大事なことだと思います。

人を頼ることは難しいです。私も中々できないので、支援者や友人たちの力を借りて練習中です。

人を頼ってもいいんだということがわかって、頼り方もだんだんわかってきて、楽な気持になりました。

ADHD当事者の周囲の人は。

追い詰めないでほしいのです。必ず、逃げ道を用意してあげてください。

逃げ道がなければ、ふてくされることに逃げてしまいます。それが簡単なので。

追い詰められさえしなければ、ふてくされることもなくなっていくように思います。

当事者が自分自身を追い詰めないことも大事ですね。

それと、関係ないように思えるかも知れませんが。

ADHD当事者が何か好きなこと、得意なことに取り組めているかも大事だと思うのです。

好きなことがやれていれば、少々凹むことがあっても、まいっか、私は好きなことをやれてるから、とさっと切り替えられるようになれるみたいなんです。

自分を嫌わないで済むんですね。

 

ADHDがふてくされることの何が一番怖いかといえば。

当事者が孤独になってしまうことだと思うのです。

周囲からも自分自身からもどんどん追い詰められて、逃げ道を失って。

そんな悲しい人をつくらないために。

ADHDはふてくされさせないこと、というのを覚えておいて欲しいなあと思うのです。

 

「大人のADHD」のための段取り力 (健康ライブラリー)

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運動会ストレス~発達障害特性から

 

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 先日のこの記事の中で、以前、長男が運動会のストレスのために転換性障害の症状が出たことに触れました。

長男は運動が得意です。

かけっこで人の後ろを走っている姿を見ることはあまりないです。

小学校の頃は選抜リレーの選手に選ばれたこともあります。

ボールを投げる動作が苦手ですが、それ以外の運動は上手くこなします。

では、何故、腕が動かなくなるほどのストレスを運動会に感じてしまうのでしょうか。

 

発達障害特性の一つに、感覚過敏というものがあります。

読んで字のごとく、感覚が普通の人よりも過敏なのです。

私にも、聴覚過敏と視覚過敏があることを、医療機関の検査で指摘されました。

どういうものかといえば。

大きな音は痛覚を刺激します。

普通の人でも、耳元で思いっきりシンバルを鳴らされたりしたら、耳に痛みを感じるのではないでしょうか。

私の場合、車のクラクションでもそうなります。

テレビの音、食器がカチャカチャいう音、店舗の館内放送、車のエンジン音、換気扇の音。

人の怒鳴り声、叫び声。

生活の中のあらゆる音が、耳から頭の奥に突き刺さる刺激になります。

音が無秩序に混ざり合っているのも、耐え難い刺激です。

スーパーなどは音の洪水で耐えられないので、できるだけ行かないようにしています。

刺激が強いと消耗するんですよね。

音の洪水にさらされた後は、ぐったりと疲れ果てて何もできなくなります。

以前はショッピングモールに行っただけで寝込んだりしてました。

もう一つ困ったことが、ざわざわした中で必要な音を聞き分けられないことです。

例えば電車の中だと、すぐ隣に座っている人の話でも、耳のそばで喋ってもらわないと全く聞き取れません。

学生時代はざわざわした休み時間の教室で、友人たちの雑談の声が聞き取れなくて辛かったことをよく覚えています。

何度も耳鼻科で検査をしてもらいましたが、聴力は正常でした。

音と同じ様に、光や色も強い刺激になります。

夜のコンビニやガソリンスタンドの明かりは眩しくてくらくらします。

晴れた日の日光は目の奥にしみるような感覚です。

解像度の高いモニターで映像をみると、気持ち悪くなります。

それらの刺激をそのままにしていると、まともに生活できません。

しょっちゅう寝込まないといけなくなります。

お薬を使ったり、工夫してどうにか乗り切っています。

こんな道具を使うこともあります。

 

 これは、私が実際に使っているイヤーマフです。音を遮断してくれます。

私は使っていませんが、こんなものも。

 

キングジム デジタル耳せん   MM1000 ホワイト

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 私はこれではなくて、ノイズキャンセリングイヤホンを使っています。

どちらも周囲のノイズを消して、必要な音を拾いやすくしてくれるものですね。

こんな道具をうまく利用しながら、どうにか生活しています。

 

長男にも、私と同じような感覚過敏があります。

音楽の授業は受けられないし、集会などマイクを使う場所では、イヤーマフを使います。

長男は私が使っているものよりさらに遮音性が高いものを使っています。

 

3M 防音 イヤーマフ JIS適合品 PELTOR ヘッドバンド式 H10A

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 運動会は、音の洪水ですよね。

放送は鳴りっぱなしだし、応援の鳴り物、笛の音、ざわざわした声、飛び交う怒声。

それに加えて。

長男は予測のつかないできごとが、発達障害特性上、苦手です。

いつも同じであることが、彼にとって一番安心できるのです。

運動会は予測できないトラブルだらけ。運動会自体が、いつもと違う事でもありますよね。

例えば、突然先生が大声を出したとしたら。

聴覚過敏で苦手な怒声を、予定外に出されてしまったということで、パニックになってしまうのです。

これは本人が我慢できることではありません。

我慢できるレベルのストレスなら、無意識に腕を動かなくしたりするわけないんです。

慣れることもありません。

慣れるものなら、どれだけ辛くても訓練します。

それで普通の生活ができるようになるなら。

私たちはなぜ障害者なのか。

健常者にとって何でもないことが、私たちにとっては越えようがないバリアだから。

車椅子ユーザーにとって段差がバリアの一つでであるならば、私たち発達障害者にとっては音や光や予測できないできごとがバリアになりうるのです。

長男は本当は運動会に出たいんです。かけっこやリレーで一番になりたい。

でも、その場にいることができません。

毎年、そんな葛藤が彼を苦しめてきました。

そして解離してしまったり。身体に症状が出たり。

苦しい気持ちを周囲に伝える術を持たない彼は、そんな形で苦しさを表出しているのです。

 

毎年、運動会の時期になると、ツイッターで悩ましい保護者の呟きを見かけます。

発達障害特性をもつお子さんが運動会を嫌がっているのに学校側の理解が得られないと。

確かに、特性がない人が、特性を感覚で理解するのは不可能でしょう。

ならばせめて、想像して欲しいのです。

その子の小さな胸の内にある葛藤を。

できることなら、みんなと同じにしたいのに、自らを守るために一人違うことをする決断をした勇気を。

何故、そうしたいと言っているのか。

想像してほしいのです。

そして、うまく折り合ってほしいと思います。

運動会をお休みにすることも一つの方法ですが。

例えば、出られそうな競技だけ参加してみるとか。

そうする為にはどうすればいいか。どんな配慮が必要か。

それこそ保護者と学校側が検討を重ねる必要があると思います。

せっかくの運動会、その子にとって少しでも良い経験になるように。

お休みすることを選んだとしても、その英断を大人たちが讃えてあげられたら素敵だなと思います。

それだけで、辛い気持ちが晴れて、良い思い出になってくれると思うので。

 

 

 

 

 

 

 

 

長男の二次障害

 

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 先日のこの記事では、長男に転換性障害の症状が出たことを書きました。

程度の差こそあれ、転換性障害はこれまで何度か長男を苦しめてきました。

長男には他にも二次障害(元々の困難さとは別の二次的な情緒や行動の問題)を抱えています。

 

解離性障害

解離とは、つらい体験を自分から切り離そうとするために起こる一種の防衛反応で、健康な人でも起こる事なのだそうです。

解離によって日常生活に支障をきたす様な状態を解離性障害と呼ぶのだそうです。

解離性障害は、発達障害知的障害を持っている人は割合として多く発症するのだとか。

普通の人より心のキャパが小さいので、解離しやすいのだそうです。

長男の場合は、記憶がすっぽりと抜け落ちる、体が一時的に動かなくなる、目が見えにくくなる、けいれん発作、振戦(体の震え)、意識がもうろうとする、意識がなくなるなど、様々な症状が出ています。

転換性障害解離性障害の一種なのだそうです。

精神的な症状として出るのが解離性障害、身体的な症状として出るのが転換性障害なのだとか。

どちらも根っこは同じ、ストレスの元から自分を守るために現れる症状です。

本人は、全く無意識です。

長男の場合は、ストレスの元が何かを特定することもできません。

本人の意識化では、そのことをストレスだと感じていないのです。

むしろ楽しみにしている事だったりする場合もあります。

例えば、長男が頑張っている水泳の試合の前や、学年末の時期など。

不安もあるけど、楽しみな事ってありますよね。

長男はその不安を不安だと自覚することができずに、無意識に体を動かなくしたり、記憶を消したりして、不安から自らを守っているのです。

恐らくは不安を自覚することができれば、これらの症状も出なくなるのではないかと思われます。

キーワードは言語化です。

知的障害発達障害をもつ長男は、自分の気持ちをうまく言葉にする事ができません。

なので、周囲の人が丁寧に彼の気持ちの動きを汲み取って、彼の心の奥の形にならない、自覚されることすらない不安を丁寧に本人に代わって言語化します。

気持ちを代弁するのですね。

難しいことだし、根気のいる作業でもあります。

これを支援者の皆さんのお力を借りながら、地道に繰り返しています。

 

退行

解離性障害の発作を起こした後、現在18歳の長男が言葉も喋れない幼児のようになってしまうことがあります。

知的障害者に時々みられる、退行という現象です。

赤ちゃん返りと言えばわかりやすいでしょうか。

退行も、健康な人にも現れるのだそうです。

追い詰められると子供のようにふてくされる人、たまにいますよね。

気を引くために無意識に子供っぽい行動をとったり。

そんなレベルなら笑ってやり過ごすこともできますが、長男の場合は、言葉もわからない幼児のような状態が、ひどい時は何週間も続きます。

そうなれば、すぐに入院して環境を変えます。

しばらくの間、様々なストレスから離れた生活を送ると、元の長男に戻ります。

退行していた間の記憶はありません。本人からすれば、タイムスリップをしたような感覚になるようです。

 

これまで、何度も。

私たち家族は長男の二次障害に苦しめられてきました。

今は主に上記の二つの症状しか出ていませんが、以前はもっと様々な症状が現れていました。

なぜ、こんなに次々に苦しい症状が出るんだろう。

長男ばかりが、なぜ。

何年も何年も、悩ましい日々が続きました。

障害は受け容れられます。工夫して、問題なく生活していくことができます。

でも、二次障害は。

いつもいつも、突然現れて、穏やかな生活を壊します。

何年たっても中々受け容れられず、治すことや症状を出さないようにすることばかりを考えていました。

でも、治らないんですよね。

治るものではないんです。付き合っていくしかない。

症状が出ないように、いくら私が本人の前からストレスになりそうなものをよけて回っても。

100%は無理なんです。

それならば、本人のやりたいことやらせてあげて、症状が出たら対応すればいいや、とやっと思えるようになりました。

この記事を書こうと思ったのも、受け容れることができたからだと思います。

これから長男が成長していくにつれ、二次障害も形を変えていくのだと思います。

何が来ても慌てないくらいには、私も鍛えられました。

二次障害を怖がらないで、長男が色んなことにチャレンジしていくのを見守っていきたいと思います。

 

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クララが立った~転換性障害

 

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 8月の終わりに、我が家の長男は突然足が動かなくなって、車椅子生活になってしまいました。

入院して様々な検査を受けましたが、どこにも異常は見つからず。

原因は心因性ということで、治るかどうか全く見通しが立たない状態になりました。

それでも少しでもできることをしようと長男は入院先でリハビリを受けはじめ、私は学校や相談支援員さんに連絡して、面談の予約をいれました。

その矢先のことです。

なんといきなり長男が立ち上がって歩き始めました。

まあ、びっくり。

立てなくなってちょうど一か月が過ぎた頃でした。

突然立てなくなった長男は、これまた突然立って歩けるようになったのです。

 

アルプスの少女ハイジという物語に、足の不自由なクララという少女が登場します。

彼女は、身体機能的には何の問題もないのに、どうしても立って歩くことができません。

本人は歩きたいのに、どうしても歩くことができないのです。

長男は、彼女と同じなのだと医師から言われました。

クララは車椅子を蹴飛ばされたことがきっかけで突然立てるようになりました。

長男も、車椅子を蹴飛ばされるようなきっかけがあればよくなるよ、と言われました。

転換性障害という心因性の病気で、その中の失歩という状態だったのだそうです。

 

転換性障害とは。

様々なストレスや葛藤を、身体症状として経験(転換)する病気なのだそうです。

症状は様々で、腕や足の麻痺や、体の一部の感覚の喪失や、声が出なくなったり、目が見えにくくなったりすることもあるのだそうです。

発作もあるのだとか。

長男は以前、運動会の前に腕が肩より上に上がらなくなったことがありました。

その時も整形外科に通って検査やリハビリをしましたが、やはり原因はわからず、リハビリも効果が得られませんでした。

でも、運動会が終わったとたんに何事も無かったかのように元通り。

それも転換性障害の症状の一つだったのです。

 

前回は運動会というわかりやすいストレスがあったので、それが終われば元に戻るだろうと見通しが立てられました。

でも今回は、下半身麻痺という大きな症状を引き起こすほどのストレスは見当たりませんでした。

やはり、様々なストレスが積み重なって、知らないうちに彼のキャパがいっぱいになってしまったのだと思います。

どうすれば良いか、悩ましい日々でした。

私が長男の車椅子を蹴飛ばせば治るのならそうしますが、そんなことがあるはずもなく。

そんなある日、長男が入院先の病棟看護師に辛く当たられると電話してきました。

長い入院生活の疲れもあったのでしょう。

なだめたり励ましたりしながら何度か電話をする内に、激しく嗚咽しながら泣き出しました。

嫌なことをいっぱい思い出して辛い、というのでとりあえず頭を冷やすようになだめて、病棟スタッフを呼ぶように告げて電話を切りました。

しばらくして。

長男からまた電話がかかりました。

第一声が足が動いた、でした。

にわかには信じられず。

すると、写真を送ってきました。

確かに、全く力が入らなかったはずの足がまっすぐ伸びていました。

いきなり立つのは危ないから、病棟スタッフを呼んで見せるように告げて電話を切った後、長男はすぐにドクター立会いのもと、立って歩いたのだそうです。

クララが立った瞬間でした。

長男の車椅子を蹴飛ばしたのは誰でもない、長男自身だったのだと思います。

 

それから二日たった今日、歩行に問題はないということで車椅子を返却しました。

今週末には退院ということで話を進めています。

来週からは学校にもぼちぼちですが行くことになるかと。

また元気に好きな水泳や自転車を楽しむこともできそうです。

再発はあるかも知れません。

解離性障害として症状がでるかも知れません。

でも怖がらないで、若い今の毎日を楽しめることを大事にしてあげたいと思います。

 

 

 

 

 

 

長男の足が動かなくなった

長男の足が動かなくなって、今日で12日目になりました。

現在、長男は精神科病棟に入院しています。

車椅子生活です。

下半身が麻痺してしまって、触った感じも温感もありません。

わずかに指先をぴくぴくと動かせるだけで、他はぴくりとも動かせません。

何故、入院先が精神科なのか。

まだ確定ではないのですが、どうやら心因性の下半身麻痺であるらしいのです。

 

二学期の始業式の翌日でした。

長男はいつものように自転車で元気に登校していきました。

退屈な長い夏休みが終わり、意欲に満ちていて、不安な言動は見られませんでした。

お昼を過ぎたころ、私のスマホが鳴りました。

長男の担任からでした。

「長男君がけいれんを伴う発作で意識がないので救急車を呼びました」

長男はよくこういう発作を起こします。

私はすぐに主治医に連絡をとり、救急隊員の方と何度かやりとりをした後、たまたま休みで在宅だった旦那と二人で学校へ向かいました。

学校に着いたらすぐに救急車に乗り込み、救急病院へ向かいました。

救急車の中で長男はわずかに会話ができる程度に回復していました。

同乗してくれた担任も私も、この様な状況には慣れていたので、特に慌てることなく雑談を交わしていました。

念のため全身を診てはもらいますが、いつもの発作ならしばらくすれば回復するとわかっていたからです。

救急病院ではCTなど様々な検査をしてもらい、異常はみられないということで何度か入院している精神科へ入院して様子をみることになりました。

この時点でも私は、いつものように数日で元気になると信じて疑いませんでした。

翌日、やはり長男はすっかり元気になっていました。

車椅子に乗っているということ以外は。

 

病名は伏せますが、長男はキャパオーバーになると過呼吸からけいれんして意識がなくなる発作を起こします。

その後、記憶がすっぽり抜けてしまったり。トランス状態になったり。手や足が動かなくなったり。目が見えにくくなったり。言葉がしゃべれなくなったり。小さな子供のようになったり。

長男は発達障害知的障害のため、もともとのキャパが小さいので、普通の人なら何でもないストレスを処理する事ができずにこの様な形で表出してしまうのです。

しかも障害特性上内省が難しいので、ほとんどの場合はストレスに対する自覚がありません。

自分が嫌だとか辛いと思っている事がわからないのです。

なので、本人が何にストレスを感じているのか、日常的に丁寧に観察していなければ、ストレスの原因を特定することができないのです。

 

今回、長男は数か月に渡って絶好調の日々が続いていました。

病気が治ったのかと錯覚するくらいに。

私は長男の中にいつの間にか雪のように降り積もったストレスを、見抜くことができませんでした。

とても悔しいです。

 

長男は現在、病棟の中を器用に車椅子を操作して、元気に動き回っています。

排泄や食事などはほぼ自立できています。

元気だけど足は動かないままです。

こんなことは初めてです。

足が動かなくなったことは今までもあったけれど、三日もたてば元通りでした。

今回はもう二週間近く経ちますが、動かないままです。

身体の検査は全部終わったわけではありませんが、ほぼ心因性で間違いないだろうとのことでした。

これからどうなっていくのか。

まだ、全く見通しが立っていません。

今はただ、回復を祈る事しかできません。

 

 

 

 

 

長男の色覚異常

 

ツイッターのタイムラインで、色覚の事が話題になっていました。

 

我が家の長男には、重度の色覚異常があります。

そのことに母である私が気が付いたのは、今年の3月のこと。

CCレモンの色は白だと言った長男の言葉に、え?とひっかかったのがきっかけでした。

長男自身は何となくだけど自分の色の見え方が他の人と違うことに気がついていたそうです。

長男が言うには、信号がLEDに変わる前は白白赤に見えていたそうです。LEDに変わってから、緑だけ見えるようになったと。それも青にしか見えないそうですが。

緑と黒のボーダー柄は真っ黒に見えるそうです。

トイレのピクトサインはピンクも水色もグリーンも見えないので、はっきりした赤と青だとわかりやすくて助かると。それでも赤と黒に見えるそうですが。

男女の区別がはっきりしてない形のピクトサインだと、どちらが男子トイレかわからなくて困るのだそうです。

そんな話を夕食後に笑いながらしている長男を眺めながら、私はパニックになりそうなのをこらえるのが精一杯でした。

今まで17年間、気付かなかった?

信号すら識別できないほどなのに。

もしかして信号を無視して飛び出していたのは、多動や知的障害による認識不足だけではなく、信号が見えてなかったから?

少し気持ちの整理をするのに時間が必要でした。

知的障害、発達障害学習障害

そしてさらに色覚異常まで?

ショックではあったけれど、時間は待ってはくれません。

1~2週間程ぐずぐずしてしまいましたが、気持ちを切り替えて眼科で検査にのぞみました。

近所のクリニックから紹介状をもらって大きい病院で詳しい検査をした結果、重度の色覚異常であるとの診断でした。

重度の色覚異常

長男に、景色がどんな風に見えるのか聞いてみました。

青い空は青だと。

木々の緑は、日当たりの良い場所や新緑ならば黄緑色に見えるけど、暗いと黒に見えるのだそうです。

赤はよく見えるのだとか。

長男は赤と黒アディダスカラーばかりを身に着けるのですが、それは発達障害の特性からのこだわりのせいではなく、唯一判別できるカラーリングだからなのだそうです。

そんな事とは思いもよらず。

ピンクや黄緑や水色などの明るい中間色や黄色は白く見えるのだそうです。

濃い緑や紫、濃い青などは黒く見えるのだとか。

そんな話を聞きながら、ん?ならなんでそれらの色が存在することを知っている?と疑問に思いました。

長男の話をよく聞いていると、明るさや発色の具合などの状況によって見えたり見えなかったりするようなのです。

信号がLEDだと緑も識別できるというのがわかりやすい例ですね。

眼科のドクターの説明によれば、色というのは太陽光の反射を眼球を通して脳で識別しているもので、厳密には見え方は一人一人違っているのだそうです。

長男のように周囲の状況で見え方に変化が出るのは当然のことなのだそうで。

なので、この色はこのように変換して見える、というようなことを検査で把握することも、マニュアル化することも不可能なのだそうです。

臨機応変に対応していくしかないということでした。

長男は、周囲が気が付かなかっただけで、産まれた時から色覚異常でした。

だから今更慌てて何かしなくても、ご本人なりに色々工夫して生活しているよ、とも言われました。

赤と黒のカラーリングばかりを身に着けるのも、彼なりの工夫ですよね。

 

長男には、読字困難もあります。文字が動いて見えるのだそうです。

交通機関の時刻表や切符はほとんど識別できないので、交通機関を使って知らない場所に行くことはほとんど不可能です。

書字障害もあります。手書きでは名前を書くのがやっとですが、キーボードなら文章が書けるのです。

もし、長男に読字障害も書字障害も色覚異常もなかったら。

発達障害と知的障害だけだったら。

教科書が読めたのでしょうか。

学習機会が得られたのでしょうか。

考えても仕方のないことを、考えてしまいます。

でもこれは本当に考えても仕方のないことで。

こんなことを考える暇があるなら、少しでも今できることをやっていきたいです。

 

先天性色覚異常は男性の約5%、女性の約0.2%に発症すると言われています。

その他、後天的に発症する場合もあるそうです。

色がわからないというのは、食品関係、工業系、化学系、デザイン系、パイロットや運転手など、様々な職種を選ぶことができなくなるのだそうです。

生活の中でも、様々な困難が生じています。

けれど、障害者手帳の対象にはならないのだそうです。

色覚異常のある人が生きやすい世の中になるように。

私もこれから長男と一緒に考えていきたいと思います。

 

青い空と緑の木々。

長男には、どんな風に見えているのでしょうか。

 

聞いてくれてありがとう 世界自閉症啓発デーコラボ企画に寄せて

nanaio.hatenablog.com

私はADHD(注意欠如多動症)だと診断されています。

双極性障害Ⅱ型、身体表現性障害という診断名もついています。

診断されたのは、大人になってからです。

 

子供の頃から、他の人が難なくやってのけることができなくて、いつももたもたして周りについていけませんでした。

毎日失敗だらけです。

何故か成績は悪くなかったので、周囲の人は誰も私に障害があるとは思わなかったでしょう。

しっかりしなさい。

やる気をだしなさい。

ふざけるな。

今でも、思い出すと耳を塞ぎたくなるくらい、毎日毎日怒られていました。

一生懸命やっているつもりです。

やる気はあります。やりたいんです。

ふざけてなんかいません。

言えるわけもなく。

泣いているのを知られると、また叱られてしまうので、お風呂の中や布団の中で毎日のように声を押し殺して泣いていました。

 

大人になっても、やっぱりぐずぐずもたもたしていて。

でも、偶然に大人の発達障害を診断できる医師と出会ったことにより、ADHDだと診断されました。

何故、私はできて当たり前のことができなかったのか。

発達障害があったから、脳に障害があったからだったのです。

 

診断されてからの私は、ずっと本来の自分を取り戻す作業をしてきました。

40年近く、自分はどうしようもなく駄目な人間、価値のない人間だと思って生きてきました。

そう思ってふてくされるしか、自分を保つ方法を知らなかったのです。

そうじゃない、障害があったから、仕方なかった。

誰も悪くはない。

私は、生きていてもいい。

ゆっくりとですが、私自身を肯定できるようになってきました。

 

私が私を肯定できれば、周囲の人も私を肯定的に受け容れてくれるようになるのでしょうか。

この歳になって、少しずつですが、友人と呼べる人ができました。

共通の趣味をもつ人だったり、子供たちを通してのママ友だったり。

彼女達には、私の発達障害のことは話しています。

話せています。

と、いうか。

聞いてくれるのですね。

別々の場面で知り合った彼女達、混じり合うことはありません。

けれど、そこが同じなのです。

彼女たちは皆一様に、私の発達障害特性の話をじっと聞いてくれるのです。

自分の主観を挟むことなくじっと聞いて、どうすれば私と共に行動できるかを一緒に考えてくれるのです。

 

私には障害があります。

目の前にいる人から、いきなりこう言われたら。とても驚きますよね。

そして、どう言えば相手を傷つけずに済むか、失礼の無い言葉はどれか、一瞬の内に考えるのだと思います。

慰めのような言葉をもらったり、障害があること自体を否定されてしまったり。

仕方のない反応だと思います。

私の友人である彼女たちも、最初はそうでした。

でも、その後は関心を持って、私の勇気を振り絞った告白に耳を傾けてくれました。

そして、障害がある私と、友人としてのひと時をごく普通に楽しむためにはどうすれば良いか、真剣に考えてくれました。

めんどくさがることも、適当にごまかされることもなく、真剣に考えて心から共に過ごす時間を楽しんでくれるのです。

長く生きてきて、初めてでした。

自分がここにいていいんだと思うことができました。

彼女達には、心から感謝しています。

 

私は、障害を持って産まれてきた自分を、二度と否定したくありません。

障害は私の一部。それを含めて、丸ごと、私です。

けれど、そのままでは、普通の生活をする事が難しいです。

なので、少しだけ、助けてもらっています。

それはお薬だったり、友人たちに一緒にランチできるお店を考えてもらったり。

デジタルの力や支援グッズを使ったり。

ほんの少しだけ助けがあれば、私はごく普通に日常生活を楽しむことができるのです。

普通になりたいとは思っていません。

普通の生活がしたいだけなのです。

 

私を丸ごと肯定してくれた人達に心から感謝を。

そしてこれからもそんな出会いを楽しみに生きていきたいと思います。