長男の二次障害
先日のこの記事では、長男に転換性障害の症状が出たことを書きました。
程度の差こそあれ、転換性障害はこれまで何度か長男を苦しめてきました。
長男には他にも二次障害(元々の困難さとは別の二次的な情緒や行動の問題)を抱えています。
解離性障害
解離とは、つらい体験を自分から切り離そうとするために起こる一種の防衛反応で、健康な人でも起こる事なのだそうです。
解離によって日常生活に支障をきたす様な状態を解離性障害と呼ぶのだそうです。
解離性障害は、発達障害や知的障害を持っている人は割合として多く発症するのだとか。
普通の人より心のキャパが小さいので、解離しやすいのだそうです。
長男の場合は、記憶がすっぽりと抜け落ちる、体が一時的に動かなくなる、目が見えにくくなる、けいれん発作、振戦(体の震え)、意識がもうろうとする、意識がなくなるなど、様々な症状が出ています。
精神的な症状として出るのが解離性障害、身体的な症状として出るのが転換性障害なのだとか。
どちらも根っこは同じ、ストレスの元から自分を守るために現れる症状です。
本人は、全く無意識です。
長男の場合は、ストレスの元が何かを特定することもできません。
本人の意識化では、そのことをストレスだと感じていないのです。
むしろ楽しみにしている事だったりする場合もあります。
例えば、長男が頑張っている水泳の試合の前や、学年末の時期など。
不安もあるけど、楽しみな事ってありますよね。
長男はその不安を不安だと自覚することができずに、無意識に体を動かなくしたり、記憶を消したりして、不安から自らを守っているのです。
恐らくは不安を自覚することができれば、これらの症状も出なくなるのではないかと思われます。
キーワードは言語化です。
知的障害、発達障害をもつ長男は、自分の気持ちをうまく言葉にする事ができません。
なので、周囲の人が丁寧に彼の気持ちの動きを汲み取って、彼の心の奥の形にならない、自覚されることすらない不安を丁寧に本人に代わって言語化します。
気持ちを代弁するのですね。
難しいことだし、根気のいる作業でもあります。
これを支援者の皆さんのお力を借りながら、地道に繰り返しています。
退行
解離性障害の発作を起こした後、現在18歳の長男が言葉も喋れない幼児のようになってしまうことがあります。
知的障害者に時々みられる、退行という現象です。
赤ちゃん返りと言えばわかりやすいでしょうか。
退行も、健康な人にも現れるのだそうです。
追い詰められると子供のようにふてくされる人、たまにいますよね。
気を引くために無意識に子供っぽい行動をとったり。
そんなレベルなら笑ってやり過ごすこともできますが、長男の場合は、言葉もわからない幼児のような状態が、ひどい時は何週間も続きます。
そうなれば、すぐに入院して環境を変えます。
しばらくの間、様々なストレスから離れた生活を送ると、元の長男に戻ります。
退行していた間の記憶はありません。本人からすれば、タイムスリップをしたような感覚になるようです。
これまで、何度も。
私たち家族は長男の二次障害に苦しめられてきました。
今は主に上記の二つの症状しか出ていませんが、以前はもっと様々な症状が現れていました。
なぜ、こんなに次々に苦しい症状が出るんだろう。
長男ばかりが、なぜ。
何年も何年も、悩ましい日々が続きました。
障害は受け容れられます。工夫して、問題なく生活していくことができます。
でも、二次障害は。
いつもいつも、突然現れて、穏やかな生活を壊します。
何年たっても中々受け容れられず、治すことや症状を出さないようにすることばかりを考えていました。
でも、治らないんですよね。
治るものではないんです。付き合っていくしかない。
症状が出ないように、いくら私が本人の前からストレスになりそうなものをよけて回っても。
100%は無理なんです。
それならば、本人のやりたいことやらせてあげて、症状が出たら対応すればいいや、とやっと思えるようになりました。
この記事を書こうと思ったのも、受け容れることができたからだと思います。
これから長男が成長していくにつれ、二次障害も形を変えていくのだと思います。
何が来ても慌てないくらいには、私も鍛えられました。
二次障害を怖がらないで、長男が色んなことにチャレンジしていくのを見守っていきたいと思います。
クララが立った~転換性障害
8月の終わりに、我が家の長男は突然足が動かなくなって、車椅子生活になってしまいました。
入院して様々な検査を受けましたが、どこにも異常は見つからず。
原因は心因性ということで、治るかどうか全く見通しが立たない状態になりました。
それでも少しでもできることをしようと長男は入院先でリハビリを受けはじめ、私は学校や相談支援員さんに連絡して、面談の予約をいれました。
その矢先のことです。
なんといきなり長男が立ち上がって歩き始めました。
まあ、びっくり。
立てなくなってちょうど一か月が過ぎた頃でした。
突然立てなくなった長男は、これまた突然立って歩けるようになったのです。
アルプスの少女ハイジという物語に、足の不自由なクララという少女が登場します。
彼女は、身体機能的には何の問題もないのに、どうしても立って歩くことができません。
本人は歩きたいのに、どうしても歩くことができないのです。
長男は、彼女と同じなのだと医師から言われました。
クララは車椅子を蹴飛ばされたことがきっかけで突然立てるようになりました。
長男も、車椅子を蹴飛ばされるようなきっかけがあればよくなるよ、と言われました。
転換性障害という心因性の病気で、その中の失歩という状態だったのだそうです。
転換性障害とは。
様々なストレスや葛藤を、身体症状として経験(転換)する病気なのだそうです。
症状は様々で、腕や足の麻痺や、体の一部の感覚の喪失や、声が出なくなったり、目が見えにくくなったりすることもあるのだそうです。
発作もあるのだとか。
長男は以前、運動会の前に腕が肩より上に上がらなくなったことがありました。
その時も整形外科に通って検査やリハビリをしましたが、やはり原因はわからず、リハビリも効果が得られませんでした。
でも、運動会が終わったとたんに何事も無かったかのように元通り。
それも転換性障害の症状の一つだったのです。
前回は運動会というわかりやすいストレスがあったので、それが終われば元に戻るだろうと見通しが立てられました。
でも今回は、下半身麻痺という大きな症状を引き起こすほどのストレスは見当たりませんでした。
やはり、様々なストレスが積み重なって、知らないうちに彼のキャパがいっぱいになってしまったのだと思います。
どうすれば良いか、悩ましい日々でした。
私が長男の車椅子を蹴飛ばせば治るのならそうしますが、そんなことがあるはずもなく。
そんなある日、長男が入院先の病棟看護師に辛く当たられると電話してきました。
長い入院生活の疲れもあったのでしょう。
なだめたり励ましたりしながら何度か電話をする内に、激しく嗚咽しながら泣き出しました。
嫌なことをいっぱい思い出して辛い、というのでとりあえず頭を冷やすようになだめて、病棟スタッフを呼ぶように告げて電話を切りました。
しばらくして。
長男からまた電話がかかりました。
第一声が足が動いた、でした。
にわかには信じられず。
すると、写真を送ってきました。
確かに、全く力が入らなかったはずの足がまっすぐ伸びていました。
いきなり立つのは危ないから、病棟スタッフを呼んで見せるように告げて電話を切った後、長男はすぐにドクター立会いのもと、立って歩いたのだそうです。
クララが立った瞬間でした。
長男の車椅子を蹴飛ばしたのは誰でもない、長男自身だったのだと思います。
それから二日たった今日、歩行に問題はないということで車椅子を返却しました。
今週末には退院ということで話を進めています。
来週からは学校にもぼちぼちですが行くことになるかと。
また元気に好きな水泳や自転車を楽しむこともできそうです。
再発はあるかも知れません。
解離性障害として症状がでるかも知れません。
でも怖がらないで、若い今の毎日を楽しめることを大事にしてあげたいと思います。
長男の足が動かなくなった
長男の足が動かなくなって、今日で12日目になりました。
現在、長男は精神科病棟に入院しています。
車椅子生活です。
下半身が麻痺してしまって、触った感じも温感もありません。
わずかに指先をぴくぴくと動かせるだけで、他はぴくりとも動かせません。
何故、入院先が精神科なのか。
まだ確定ではないのですが、どうやら心因性の下半身麻痺であるらしいのです。
二学期の始業式の翌日でした。
長男はいつものように自転車で元気に登校していきました。
退屈な長い夏休みが終わり、意欲に満ちていて、不安な言動は見られませんでした。
お昼を過ぎたころ、私のスマホが鳴りました。
長男の担任からでした。
「長男君がけいれんを伴う発作で意識がないので救急車を呼びました」
長男はよくこういう発作を起こします。
私はすぐに主治医に連絡をとり、救急隊員の方と何度かやりとりをした後、たまたま休みで在宅だった旦那と二人で学校へ向かいました。
学校に着いたらすぐに救急車に乗り込み、救急病院へ向かいました。
救急車の中で長男はわずかに会話ができる程度に回復していました。
同乗してくれた担任も私も、この様な状況には慣れていたので、特に慌てることなく雑談を交わしていました。
念のため全身を診てはもらいますが、いつもの発作ならしばらくすれば回復するとわかっていたからです。
救急病院ではCTなど様々な検査をしてもらい、異常はみられないということで何度か入院している精神科へ入院して様子をみることになりました。
この時点でも私は、いつものように数日で元気になると信じて疑いませんでした。
翌日、やはり長男はすっかり元気になっていました。
車椅子に乗っているということ以外は。
病名は伏せますが、長男はキャパオーバーになると過呼吸からけいれんして意識がなくなる発作を起こします。
その後、記憶がすっぽり抜けてしまったり。トランス状態になったり。手や足が動かなくなったり。目が見えにくくなったり。言葉がしゃべれなくなったり。小さな子供のようになったり。
長男は発達障害と知的障害のため、もともとのキャパが小さいので、普通の人なら何でもないストレスを処理する事ができずにこの様な形で表出してしまうのです。
しかも障害特性上内省が難しいので、ほとんどの場合はストレスに対する自覚がありません。
自分が嫌だとか辛いと思っている事がわからないのです。
なので、本人が何にストレスを感じているのか、日常的に丁寧に観察していなければ、ストレスの原因を特定することができないのです。
今回、長男は数か月に渡って絶好調の日々が続いていました。
病気が治ったのかと錯覚するくらいに。
私は長男の中にいつの間にか雪のように降り積もったストレスを、見抜くことができませんでした。
とても悔しいです。
長男は現在、病棟の中を器用に車椅子を操作して、元気に動き回っています。
排泄や食事などはほぼ自立できています。
元気だけど足は動かないままです。
こんなことは初めてです。
足が動かなくなったことは今までもあったけれど、三日もたてば元通りでした。
今回はもう二週間近く経ちますが、動かないままです。
身体の検査は全部終わったわけではありませんが、ほぼ心因性で間違いないだろうとのことでした。
これからどうなっていくのか。
まだ、全く見通しが立っていません。
今はただ、回復を祈る事しかできません。
長男の色覚異常
我が家の長男は緑が黒に、黄色は白に見えるのだそうです。信号がLEDに変わる前は白白赤に見えていたと。赤は見えるそうです。 .@CookDrake さんの「色覚検査と色覚異常の補正レンズについて」をお気に入りにしました。 https://t.co/oZ2f2vCJOp
— fumikichi (@fumikichi2525) 2016年5月22日
ツイッターのタイムラインで、色覚の事が話題になっていました。
我が家の長男には、重度の色覚異常があります。
そのことに母である私が気が付いたのは、今年の3月のこと。
CCレモンの色は白だと言った長男の言葉に、え?とひっかかったのがきっかけでした。
長男自身は何となくだけど自分の色の見え方が他の人と違うことに気がついていたそうです。
長男が言うには、信号がLEDに変わる前は白白赤に見えていたそうです。LEDに変わってから、緑だけ見えるようになったと。それも青にしか見えないそうですが。
緑と黒のボーダー柄は真っ黒に見えるそうです。
トイレのピクトサインはピンクも水色もグリーンも見えないので、はっきりした赤と青だとわかりやすくて助かると。それでも赤と黒に見えるそうですが。
男女の区別がはっきりしてない形のピクトサインだと、どちらが男子トイレかわからなくて困るのだそうです。
そんな話を夕食後に笑いながらしている長男を眺めながら、私はパニックになりそうなのをこらえるのが精一杯でした。
今まで17年間、気付かなかった?
信号すら識別できないほどなのに。
もしかして信号を無視して飛び出していたのは、多動や知的障害による認識不足だけではなく、信号が見えてなかったから?
少し気持ちの整理をするのに時間が必要でした。
そしてさらに色覚異常まで?
ショックではあったけれど、時間は待ってはくれません。
1~2週間程ぐずぐずしてしまいましたが、気持ちを切り替えて眼科で検査にのぞみました。
近所のクリニックから紹介状をもらって大きい病院で詳しい検査をした結果、重度の色覚異常であるとの診断でした。
重度の色覚異常。
長男に、景色がどんな風に見えるのか聞いてみました。
青い空は青だと。
木々の緑は、日当たりの良い場所や新緑ならば黄緑色に見えるけど、暗いと黒に見えるのだそうです。
赤はよく見えるのだとか。
長男は赤と黒のアディダスカラーばかりを身に着けるのですが、それは発達障害の特性からのこだわりのせいではなく、唯一判別できるカラーリングだからなのだそうです。
そんな事とは思いもよらず。
ピンクや黄緑や水色などの明るい中間色や黄色は白く見えるのだそうです。
濃い緑や紫、濃い青などは黒く見えるのだとか。
そんな話を聞きながら、ん?ならなんでそれらの色が存在することを知っている?と疑問に思いました。
長男の話をよく聞いていると、明るさや発色の具合などの状況によって見えたり見えなかったりするようなのです。
信号がLEDだと緑も識別できるというのがわかりやすい例ですね。
眼科のドクターの説明によれば、色というのは太陽光の反射を眼球を通して脳で識別しているもので、厳密には見え方は一人一人違っているのだそうです。
長男のように周囲の状況で見え方に変化が出るのは当然のことなのだそうで。
なので、この色はこのように変換して見える、というようなことを検査で把握することも、マニュアル化することも不可能なのだそうです。
臨機応変に対応していくしかないということでした。
長男は、周囲が気が付かなかっただけで、産まれた時から色覚異常でした。
だから今更慌てて何かしなくても、ご本人なりに色々工夫して生活しているよ、とも言われました。
赤と黒のカラーリングばかりを身に着けるのも、彼なりの工夫ですよね。
長男には、読字困難もあります。文字が動いて見えるのだそうです。
交通機関の時刻表や切符はほとんど識別できないので、交通機関を使って知らない場所に行くことはほとんど不可能です。
書字障害もあります。手書きでは名前を書くのがやっとですが、キーボードなら文章が書けるのです。
もし、長男に読字障害も書字障害も色覚異常もなかったら。
発達障害と知的障害だけだったら。
教科書が読めたのでしょうか。
学習機会が得られたのでしょうか。
考えても仕方のないことを、考えてしまいます。
でもこれは本当に考えても仕方のないことで。
こんなことを考える暇があるなら、少しでも今できることをやっていきたいです。
先天性色覚異常は男性の約5%、女性の約0.2%に発症すると言われています。
その他、後天的に発症する場合もあるそうです。
色がわからないというのは、食品関係、工業系、化学系、デザイン系、パイロットや運転手など、様々な職種を選ぶことができなくなるのだそうです。
生活の中でも、様々な困難が生じています。
けれど、障害者手帳の対象にはならないのだそうです。
色覚異常のある人が生きやすい世の中になるように。
私もこれから長男と一緒に考えていきたいと思います。
青い空と緑の木々。
長男には、どんな風に見えているのでしょうか。
長男はずっと視覚支援がうまくいかず、何故だろうと思っていた。
— fumikichi (@fumikichi2525) 2016年5月22日
高校生になって読字困難と色覚異常がある事がわかって、視覚支援がうまくいかない理由がわかった。
この様なケースがある事も、支援者、医療者は頭の隅に置いてくれていたらと思う。
発達障害、知的障害には視覚支援が有効であるというマニュアルがあっても、それが不可能なケースもあるという事。
— fumikichi (@fumikichi2525) 2016年5月22日
長男の場合は繰り返し経験する事で、地道に覚えるしかない。
学校に行くための交通機関の乗り継ぎを完璧に覚えるのに3年かかった。
— fumikichi (@fumikichi2525) 2016年5月22日
障害者スポセンまではそれ以上かかっている。
移動支援、行動援護等のサービスを使いながら地道な練習を繰り返したおかげ。
これらのサービスをもっと多くの方が利用できる様に、事業者や予算を増やして欲しいと心から願う。
聞いてくれてありがとう 世界自閉症啓発デーコラボ企画に寄せて
双極性障害Ⅱ型、身体表現性障害という診断名もついています。
診断されたのは、大人になってからです。
子供の頃から、他の人が難なくやってのけることができなくて、いつももたもたして周りについていけませんでした。
毎日失敗だらけです。
何故か成績は悪くなかったので、周囲の人は誰も私に障害があるとは思わなかったでしょう。
しっかりしなさい。
やる気をだしなさい。
ふざけるな。
今でも、思い出すと耳を塞ぎたくなるくらい、毎日毎日怒られていました。
一生懸命やっているつもりです。
やる気はあります。やりたいんです。
ふざけてなんかいません。
言えるわけもなく。
泣いているのを知られると、また叱られてしまうので、お風呂の中や布団の中で毎日のように声を押し殺して泣いていました。
大人になっても、やっぱりぐずぐずもたもたしていて。
でも、偶然に大人の発達障害を診断できる医師と出会ったことにより、ADHDだと診断されました。
何故、私はできて当たり前のことができなかったのか。
発達障害があったから、脳に障害があったからだったのです。
診断されてからの私は、ずっと本来の自分を取り戻す作業をしてきました。
40年近く、自分はどうしようもなく駄目な人間、価値のない人間だと思って生きてきました。
そう思ってふてくされるしか、自分を保つ方法を知らなかったのです。
そうじゃない、障害があったから、仕方なかった。
誰も悪くはない。
私は、生きていてもいい。
ゆっくりとですが、私自身を肯定できるようになってきました。
私が私を肯定できれば、周囲の人も私を肯定的に受け容れてくれるようになるのでしょうか。
この歳になって、少しずつですが、友人と呼べる人ができました。
共通の趣味をもつ人だったり、子供たちを通してのママ友だったり。
彼女達には、私の発達障害のことは話しています。
話せています。
と、いうか。
聞いてくれるのですね。
別々の場面で知り合った彼女達、混じり合うことはありません。
けれど、そこが同じなのです。
彼女たちは皆一様に、私の発達障害特性の話をじっと聞いてくれるのです。
自分の主観を挟むことなくじっと聞いて、どうすれば私と共に行動できるかを一緒に考えてくれるのです。
私には障害があります。
目の前にいる人から、いきなりこう言われたら。とても驚きますよね。
そして、どう言えば相手を傷つけずに済むか、失礼の無い言葉はどれか、一瞬の内に考えるのだと思います。
慰めのような言葉をもらったり、障害があること自体を否定されてしまったり。
仕方のない反応だと思います。
私の友人である彼女たちも、最初はそうでした。
でも、その後は関心を持って、私の勇気を振り絞った告白に耳を傾けてくれました。
そして、障害がある私と、友人としてのひと時をごく普通に楽しむためにはどうすれば良いか、真剣に考えてくれました。
めんどくさがることも、適当にごまかされることもなく、真剣に考えて心から共に過ごす時間を楽しんでくれるのです。
長く生きてきて、初めてでした。
自分がここにいていいんだと思うことができました。
彼女達には、心から感謝しています。
私は、障害を持って産まれてきた自分を、二度と否定したくありません。
障害は私の一部。それを含めて、丸ごと、私です。
けれど、そのままでは、普通の生活をする事が難しいです。
なので、少しだけ、助けてもらっています。
それはお薬だったり、友人たちに一緒にランチできるお店を考えてもらったり。
デジタルの力や支援グッズを使ったり。
ほんの少しだけ助けがあれば、私はごく普通に日常生活を楽しむことができるのです。
普通になりたいとは思っていません。
普通の生活がしたいだけなのです。
私は発達障害だけど、隔離された場所に居続けたい訳じゃない。
— ふみきち (@fumikichi2525) 2016年3月17日
普通に世の中を歩いていきたい。
でも、残念ながら、普通の靴で世の中を歩くとすぐに足を痛めてしまう。
私が世の中を普通に歩く為に、道路工事をして欲しい訳じゃない。
— ふみきち (@fumikichi2525) 2016年3月17日
足をいためない靴が欲しいだけ。
自分一人ではそんな素敵な靴を探すのが難しいから、手伝ってくれる人が居るといいな。
素敵な靴が見つかったら、隔離された場所でなく、色んな所で色んな人と出会えるかなあ。
仲良くできるかな。
私を丸ごと肯定してくれた人達に心から感謝を。
そしてこれからもそんな出会いを楽しみに生きていきたいと思います。
ADHDの私がコンサータを飲み始めて一年が過ぎました
このtogetterは、一年前に私がコンサータを飲み始めた時にツイッターでした実況を、ふらカナ(@fura_kana)さんがまとめてくださったものです。
コンサータというお薬を飲み始めて一年が過ぎました。
一年経って思うことは。
普通の生活ができるようになったな、ということです。
自分がADHDであることをあまり意識しなくてよくなりました。
このお薬を飲み始めてできるようになった事を具体的にあげてみましょう。
私がコンサータを飲み始めてできるようになったこと
最後まで考えられるようになった
このお薬を飲み始める前は、何か考えているとどんどん色んなことが閃いて、思考があっちこっちに散らかって中々まとまりませんでした。
短期記憶の弱さから、考えている途中で何を考えていたのか忘れてしまうこともありました。
結論まで考えられた時でも、その結論を一瞬で忘れてしまうこともありました。
コンサータを飲み始めてから、考え始めたら結論に至るまで集中して思考することができるようになりました。
そうして導き出した結論を、知識として取り入れることもできているようなのです。
例えるなら、頭の中に常にもやもやと広がって視界を悪くしていた霧を、このお薬が取り去ってくれた様な感じでした。
こんなに頭の中がクリアにすっきりする事があるもんなんだなと。
ちょっと感動してしまうくらいでした。
話ができるようになった
以前の私は、文を書くことができても喋ることができませんでした。
何かを説明するときは、必要のない細かい情報まで伝えようとして肝心の事が伝わらなかったり、逆に端折りすぎて単語の羅列のようになってしまって相手を混乱させたりで、自分の言いたいことをきちんと相手に伝えるのがとんでもなく下手でした。
喋ってる途中で、喋ろうとしたことをきれいさっぱり忘れてしまって冷や汗をかくこともよくありました。
コンサータを飲み始めて、喋り始めたら、まるで文章を書いている時のように順序立てて言葉をスラスラと並べる事ができるようになりました。
何かの出来事の始終を誰かに伝えたいときに、最初から最後までを順序立てて文章で喋れた時は、とてもすっきりして気分が良かったです。
常にあった眠気、倦怠感がなくなる
私は子供の頃から、日中の眠気、だるさに悩まされてきました。
体調が悪いわけでもないのに、常に風邪のひきはじめのような、何とも言えない身体の重さを感じていました。
すっきりと目が覚めている状態なのは、年に数回あるかないかといった所でしょうか。
身体がだるくてすぐに横になってしまう、怠け者の自分が嫌でした。
コンサータを飲むと、濃いコーヒーを飲んだ時の様なすっきりした感じがあります。
それが作用時間中、ずっと継続するようなのです。
身体がとても軽いです。動けます。
一日だらだらせずに自分の思うように身体を動かせる、それが嬉しいです。
話が聞ける
これはとても大きな事でした。
私の耳は、周囲の音を全部拾ってしまって、その中から必要な情報を取り出すことができません。
マイクで録音された音を聞いたことがある方は、思い出してみてください。
常にそんな状態でしか聞き取ることができないのです。
学校などざわざわした場所では、すぐ近くにいる人の話でも聞き取ることができません。
人が多いところに行くのが苦痛で、何気ない雑談も私には苦行のようでした。
もう一つは、話を聞いている途中でそれまで聞いた話を忘れてしまったり、突然話が違う国の言語のように聞こえて意味がわからなくなることがありました。
これはあせります。
話は意識して一生懸命聞いているのに、内容が全く頭に入らないのですから。
コンサータはこういった困難も改善してくれました。
保護者会前後の雑談で、ほとんど意識することなくママ友の話を聞けたときは、話を聞くというのはこんなに簡単にできる事なのかと驚きました。
片付いた
これについては正直なところあまり自信はないのですが。
正確に言えば、以前は散らかっていることに気付いてなかったのだと思います。
物の見え方が平面的でのっぺりしていて、床に物が落ちていても見えているのに見えていない(気付かない)状態でした。
コンサータを飲むと、床に落ちているものがいきなり自己主張し始めます。
いつからそこにあった?と思うような状態です。
そして、ごく自然に、拾うんですよね。落ちている→拾うが自動でできてしまいます。
以前だったら、落ちている→考える→拾わなきゃ→拾うだったと思います。
このプロセスの途中で他のことに気を取られて拾うのを忘れてしまったり。
その落ちているものがいらないものであれば、すぐに処分することもできます。
この判断も、以前はスムーズにできませんでした。
コンサータを飲むと、ゴミはゴミにしか見えなくなりました。
そうして自動的に拾ったり、いらないものをいらないと認識して処分したりしているうちに、徐々に家の中がすっきりとしてきました。
まだ一般的に見たら全然なレベルだと思いますが、以前よりも探し物をすることがなくなり、物の居場所も決まって、生活がしやすくなりました。
大きくはこの様な感じでしょうか。
あとは切り替えが良くなった、物事の手順がすっと浮かぶようになった、などがあげられます。
日常生活の中で私が感じていた、発達障害特性からのストレスがかなり軽減されたことがおわかりいただけるでしょうか。
同時に、できなくなったこともあります。
私がコンサータを飲み始めてできなくなったこと
色や音楽や料理の味の構成がわからなくなった
以前は、物の色を再現するのに絵の具をどの程度の割合で混ぜればよいか、見ればわかりました。
その色が、何と何の色彩が重なってできているのかが見えていました。
音楽も、コーラスなら誰かが音を外せばすぐに気付くし、合奏でも同じ様に楽器単体でバラバラに聞こえていました。
料理の味付けも、食べれば何の素材でどのような調味料を使ってどのくらい火を通したかなどがだいたいわかりました。
これらの事が、わからなくなりました。
色は見えているその色でしか見えないし、音楽は一塊の音でしかないし、料理は食べたらおいしいだけになりました。
私に生来あった感覚過敏という特性が、コンサータで軽減されたのだと思います。
世の中の見え方が、少しつまらなくなってしまいました。
絵画を見た時や、美しい音楽を聞いたときにその世界に巻き込まれるような感動を、感じなくなってしまいました。
でもこの感覚過敏というものは、とても疲れるものでもあって。
同じものを見聞きしても、キャッチする情報が多すぎるのですね。
刺激に極端に弱くなってしまいます。
少し世界がつまらなくなってしまったけど、生活する上では楽になれたので、私は現状に満足できています。
大食いできなくなった
私はかなりの大食いでした。
でも、コンサータを飲み始めて、食が細くなりました。
これは副作用だと思います。
私は大食いにストップがかかってありがたいのですが、食べることが大好きな人や元々食が細い人は、このコンサータの副作用は辛いものになるかもしれません。
感覚的なアンテナの受信が悪くなった事が一番の変化かも知れません。
でも、それは言い換えれば鋭すぎたアンテナの感度を下げて受信する情報を減らし、情報過多から私を守ってくれる効果でもあるのです。
気を付けた方が良いと思うこと
動きすぎ要注意
コンサータを飲み始めて一番強く感じたのは、とにかく身体が軽くなったということでした。
今までは重い身体によっこらしょと力を入れて動かしているような感じだったのが、思うだけですっと身体が反応して動きます。
軽いです。
これがとてもうれしくて。
つい、あれもこれもと欲張って動きすぎてしまうのですね。
でも、コンサータは12時間で効果が切れてしまうお薬です。
12時間たてば元通り。鉛のように重い身体をよっこらしょと動かさなくてはいけません。
そこに、一日休みなく動いた分の疲労がどっと押し寄せます。
立ち上がるのさえしんどい状態になってしまいます。いわゆる電池切れですね。
この電池切れを防ぐために、日中に動きすぎないこと、適度に休憩を入れることが大事だと思います。
まだ、やれる、というところでストップをかける習慣を付けると良いと思います。
私はこれができるようになるのに結局一年かかってしまいました。
今では電池切れすることは滅多になくなりました。
疲労がベースにあると効かない
元気に動き回った翌日、疲れがとれてないことはありますよね。
どうも、その状態でコンサータを飲んでも、あまり効かないみたいなのです。
風邪をひいたりして体調が悪い時も、あまり効かないみたいです。
コンサータの効果を十分に発揮するならば、規則正しい生活をして、無理をせず、疲労を翌日に持ち越さないことが大事だなと思いました。
適正な量に調整する
お薬なので、当然、適正な量はそれぞれ違います。
足りなければ当たり前ですが全然効きません。
逆に多すぎると副作用が強く出たり、私の場合は頭が働きすぎて辛くなりました。
思考が止まらない、思考の多動のような状態でした。
医師と一緒に丁寧に自らをモニタリングして、適正量を見つけて欲しいと思います。
副作用、私の場合
まず最初に感じたのは食欲不振でした。
食べることが大好きでいくらでも食べられたのですが、食べなくても平気になりました。
お子さんや痩せ気味の方、元々食が細い方は要注意の副作用だと思います。
ただ、これも服薬を続けていると、だんだん無くなってくるようです。
今ではちゃんと空腹を感じて、一人前たいらげるようになりました。
もう一つは、口の渇きでした。
これは最初のうちは辛かったです。
水分をとっても全然口の中が潤いませんでした。
でもこれも長く服薬している内に軽減したように思います。慣れもあるかも知れません。
あと頭痛などもありましたが、最初の数日間でなくなりました。
コンサータはお薬なので、副作用はあります。
作用と副作用のバランスを考えながら、医師と相談して服薬を進めて欲しいと思います。
以上、思いつくままに今現在の私がコンサータについて思うことを並べてみました。
ここに書いたことはあくまでも私個人が感じたことであって、お薬の作用、副作用の現れ方は十人十色だと思います。
服薬は信頼する医師と十分に検討を重ねた上で進めて欲しいと思います。
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私って障害者なんだ
時々複雑な気持ちになる。
— ふみきち (@fumikichi2525) 2016年2月2日
何故、私は診断「済」発達障害者なんだろう。
TLやはてなブックマークを見ていると、私と同じ特性を持っているという方を数多く見かける。
私は彼等と自分が同じだとは思わない。
彼等はそれでも健常者の世界に生き、私は障害者として生きている。
何が違ったのか。
特性の濃さなのか。
— ふみきち (@fumikichi2525) 2016年2月2日
偶然、大人の発達障害を診断できる医師に出会ったからなのか。
配偶者も子供達にも特性があったからなのか。
二次障害があるからか。
それら全てが絡み合って、今の私の立ち位置が決まったのか。
それとも、私自身の意志の問題なのか。
障害者として生きる事は、健常者のそれとは違う。
— ふみきち (@fumikichi2525) 2016年2月2日
私が障害者になったのは偶然か必然か。
個性と障害の境目は何だったのだろう。
お子さんが将来障害者として生きるのか。
— ふみきち (@fumikichi2525) 2016年2月2日
或いは健常の世界で生きるのか。
イメージしておく事は大事だと思う。
障害者と障害児は違う。
特性を持ちながら、健常の世界に適応して生きる道も選べるのだと。
けれどそれは、障害者として生きる事よりも、沢山の選択をせまられる事になるのだと。
等身大の自分自身を客観的に理解し、取捨選択の上で自身に最適な道を選び取れる力はとても大事だと。
— ふみきち (@fumikichi2525) 2016年2月2日
見極める力。
失敗に対する耐性が付きにくい特性を持っているからこそ、それが大事なのだと思う。
子供の頃に自分自身を理解し、物事を見極める力が育つと良いのだろうな。
自分自身を等身大で理解できていたら、私の今は違っていたかも知れないなあ。
— ふみきち (@fumikichi2525) 2016年2月2日
twitterで色んな方の呟きを拝見してて、時々複雑な気持ちになります。
私と似た特性を持っていても、社会に適応し、二次障害も起こさずに普通に生活していらっしゃる。
やっぱり、私は頑張りが足りないから、障害者になったのかなあとか。
障害者になる事が良いか悪いかの話ではないのです。
なんというか…障害者になる事を「選ばない」生き方もあったのかなあと。
私が障害者になったのは、自分で選んでそうなったのか、必然的にそうなったのか、よくわからないのです。
いつの間にかそうなっていた、という感じで。
私は健常の世界に適応できていないかといえば、そうでもありません。
学校や町内の役員もやらせて頂いているし、長男に深刻な二次障害が無ければ仕事もしていたと思います。苦手ですが、家事もそれなりにやっています。学校行事にも極力参加しています。
でも、今の私は障害者です。
必然だったのかなあ。
我慢ってどこまでするものなんでしょうか。
頑張るのはどこまでなんでしょうか。
皆しんどいのに私は楽しようとしてるんじゃないのかなあ。
わからないのです。
発達障害って、そんな障害なんですよね。
頑張ればできる。でも、ずっと頑張っていないといけない。
聞き逃していないか。見逃してないか。忘れてないか。失言していないか。
ずっと緊張しています。
障害がなければ、こんなに緊張しなくても社会に適応できるものなのでしょうか。
二次障害のせいか特性のせいなのかわかりませんが、調子のいい時と悪い時とでとても差があります。
悪い時は一日のほとんどを寝て過ごすような感じで、考えることもままならない感じなのですが、調子が良くなると、我に返る様な感覚があるのです。
何もできない、何もしてない自分が嫌で、焦った気持ちになります。
自分を受け入れることなど全然できてないのだなあと思います。
多分、この現状に満足できず、自分を追い詰めるたまらない焦燥感は特性なのだと思います。
衝動性丸出しで多動全開だったころは、こんな状態になると即行動に移していたのですが、今は特性を抑える薬も飲んでいるし、年齢を重ねることで衝動と多動は抑えられています。
代わりに頭の中ではぐるぐるもやもやと言葉にできない何かが蠢くようになりました。
こんな時どうするか。
今の状態はよく言われる脳内多動、思考の多動とは違うもので、体に出る多動を無理に抑えるとでてくる強い不安の一つの形なのだと思います。
なので、意図的に体を動かします。ウォーキングや家事などで軽く体を動かすとスッキリします。
好きなことに没頭することもよいみたいです。過集中は疲れますが、頭の中はスッキリします。
趣味でも仕事でも、好きなことや、強いやりがいを感じられる何かがあることは、人を強くしますね。
どこにも所属せず、生産的な作業を何もしていないと、不安がどんどん増えていって、足元を危うくします。
発達障害があると、不適応を起こしやすいので、そういった何か生産的な活動をしたいという欲求が満たされにくくなるのかもしれませんね。
好きなことに没頭することは、そういった欲求を満たすことに繋がるのだと思います。
特性があると、何かを極めたりするのが大好きですよね。
私もモヤモヤしてる暇があったら、自分の好きなことを極めたいなと思います。
お散歩に行ってきました。
寒かったけど気持ちよかったです。
元気に体を動かせるのはありがたいですね。
明日は趣味の時間がとれると良いなと思います。