フミログ

発達障害、知的障害のことから日々の生活のことまで。

家庭内別居のススメ

先日、主治医と発達障害を持つ夫婦が上手くいくにはどうすれば良いかについて話しました。
主治医曰く発達障害の夫婦は上手くいかないのだそうです。
上手くいく方法は無いですかね?と聞くと、一番いい方法は別居だと。
あ〜、なるほど〜、別居ね〜。いいかも〜。
とか、そこで終わるわけにはいきません。
これでは何の解決にもなってないわけで。
では、どうすればいいでしょう?
主治医から言われたのは、家庭内に家族それぞれのパーソナルスペースを作ることでした。
個室である必要は無いとの事。
とにかく逃げ場を作ることが大事だと。

発達障害のある我が家の家族は切り替えが下手で、すぐにテンパってしまいます。
しかも一旦一つの考え方にとらわれると、頭の中でずっとその考えがぐるぐると回り続けます。
まいっか!とかちょっと一旦置いといて、こっちを優先しよう、後から考えよう、というのが中々できません。
その切り替えをする為に必要なのが、クールダウンエリアです。
一旦頭を冷やして、冷静になるためのスペースですね。
発達障害を持つお子さんがパニックになった時に、押入れの中などお気に入り場所にこもって頭を冷やす事はよくあるかと思います。
このクールダウンエリア、発達障害を持つ大人にも必要なものなのですね。

発達障害を持つ方で、些細な事でダメージを受けてパニックになり、キレてしまったりフリーズしてしまったりする事はあるのではないかと思います。
そんな時、気持ちを切り替える為に刺激を避けた静かな場所で頭を冷やす事がとても有効です。
これは訓練でできるようになります。
学校などでパニックになってしまった時に、時間を決めて一人で静かに頭を冷やします。
タイムアウトと呼ばれるやり方ですね。
我が家の子供達はこれを繰り返しているうちに、頭に血が登った時に自分からストレスの元と距離をとって、冷静になるための時間を作るようになりました。
これはとても大事な事です。
冷静になれば自分が偏った極端な考え方で誤解していたと気づく事もできます。
でも、冷静になれない状態で無理にストレスを抑えつけると、いつまでも納得いかないまま偏った考え方にこだわってしまいます。
ストレスはその場で解消する事がとても大事なのです。

家庭内に個人専用のクールダウンエリアを設けて、そこでクールダウンする事を繰り返していると、その条件下であればクールダウンできるようになるようです。
こだわりの特性が良い方に働いているのかも知れません。
夫婦間でも同様に、臨戦態勢に入った場合はそれ以上のヒートアップを避けてクールダウンする必要があると思います。
我が家の様な発達障害の夫婦の場合、頭に血が登った状態での議論は不毛でしょう。思考にバイアスがかかっていい結果にはならないと思います。
雨降って地固まる、というのは我が家の場合ありません。土砂降りで溝が深まるだけです。

ケンカ以外でも、発達障害者にはクールダウンが必要です。
例えば、仕事や学校から帰宅した時。
静かな室内に戻ってくると、頭の中にその日一日起こった事や話した事が怒涛の如く押し寄せて、軽くパニックの様になる時があります。
切替ができません。
そんな時に一人静かに頭を冷やす場所と時間があれば、落ち着きを取り戻す事ができます。
まいっか、後から考えよう、次の事しなくては、と切り替えられるのです。

発達障害を持つ私や家族にとって、一人になる時間はとても大事です。
この時間がとれなければ、すぐに精神的なバランスを保てなくなります。

家庭内でのクールダウンエリアはパーソナルスペースである事が理想です。
私は発達障害特性の一つ、感覚過敏を持っています。
音と光に過敏です。
夜のリビングルームはテレビの音、ゲームの音、話し声、明るい照明など音と光に溢れていて、ストレスを感じてしまう場所です。
でも、旦那は私とは逆に明るい照明やテレビが無いと落ち着かないようです。

そう、合いません。最悪です。一緒にいれません。

お互いがストレスをできるだけ感じないで生活するためには、クールダウンできるパーソナルスペースの確保がとても大事なのです。
刺激を受けすぎて辛くなった時に逃げ込める様に。
頭に血が登った時、冷静になるために。
自分だけの安心できる安全地帯を持つことが、気持ちのバランスを保つ為にとても重要なのです。

兄弟間でも同様に、距離を置く事が大事だと主治医から言われました。
我が家では意識的に兄弟を離す様にしました。
車内や外食の時に隣に座らせない事。
出掛けた先でも旦那と二手に別れて兄弟それぞれに付きました。一緒に行動する事はまずありませんでした。
二人共激しい多動があったので、大人一人で二人を連れての外出はよほどの事で無い限りありませんでした。
家では二人だけで遊ばせる事をできるだけ避ける様に。
習い事は別々に。
長男は以前、キレると見境なく暴れて、次男を攻撃しようとしていました。
次男の身の安全の為にも、兄弟を離す事は最優先課題でした。
以前は暴力的なトラブルが何度もありましたが、本人達が自然と距離をとる様になり、今ではゲームや音楽の事などくだらない話しかしなくなりました。
お互いへの突っ込みは大人、つまり私を仲介する事をルールにしています。

お互いの特性がぶつかり合って、潰し合わない為に。
我が家の家族は家庭内にパーソナルスペースを持つ事が大事です。
別居するのがいいとか言われましたが、そこまでは物理的に不可能です。
家庭内別居がよろしいかと。
距離を保つことで上手くいくこともあると思うのです。

一般的に家族や夫婦は一緒に居ることが良きことの様に言われますよね。
私は全然そんな風に思いません。
一人の時間が欲しいです。
仮に旦那がすごく趣味も話も合う人であっても、ずっと一緒に居ると疲れてしまうと思います。
一人でぐるぐる回る頭を冷やす時間が欲しいのです。
こう思うのは、ずっと私のわがままだと思っていました。
でも、発達障害と診断されて、これは特性なんだと知る事ができました。
人と話すのは楽しいと思います。たまに会う友人との時間は楽しみです。
でも、ものすごく疲れます。
これは相手が好きとか嫌いとかの問題では無くて、刺激に弱い特性のせいなのです。
家族や夫婦の間でも、こういった事を理解して上手くやっていければ、平和に暮らせると思うのですが。

思うのですが、どうだろう。上手いこといけばいいですが。
やっぱり別居しかないのかなあ…。
うーむ。







ちょっと愚痴~発達障害家族の暮らし

最近、疲れています。

家族全員が発達障害と聞けば何となく大変そうだなあ、と思ってくださるでしょうか。
大変な事は色々あります。子供達の成長、旦那との距離感、状態、その時々で変わってきます。

スモールステップの指示

最近、きついなあと思うのが、スモールステップの指示です。我が家は40代の旦那、高二の長男、中二の次男が居ますが、この人達は細かく指示を出さなければ動きません。

子供達の場合。
学校に行く日は、パターン化しているのである程度自分でできます。
でも、帰宅後や休日は、疲れもあって、指示を出さなければいつまでも固まっています。

着替えなさい
洗濯物出しなさい
水筒出しなさい
宿題は?
お風呂入りなさい
ご飯食べなさい
薬飲みなさい
寝なさい

繰り返しますが中学生と高校生です。
ほっときゃいいじゃない、と言うご意見を頂きそうですが、特性上、失敗経験から学ぶ事が難しいのです。
両極思考もあるのでしょうか。失敗=駄目な自分という自己評価をしてしまいます。
失敗してしまった!というパニックもあります。
体調も崩しやすく、生活が不規則になるとすぐにダウンしてしまいます。
何よりも、いつまでも固まっていられては生活が成り立ちません。
紙やボードに書いて渡すなども試しましたが、見ながら行動するというのが難しいみたいなのです。
幼い頃から療育を受けていれば、構造化に慣れて視覚支援が受けやすくなっていたかも知れません。
ですがうちの子達は二人とも、小学生からの療育スタートです。コミュニケーションや気持ちの表出の訓練が主な内容でした。読むことが困難な特性も持っていて、視覚支援も中々思うようにいきません。
けれど、耳からの指示を受けるのも言葉が上滑りしたり聞き取れなかったりで難しいのです。

子供達には今、自立に向けて積極的に自分でできることは自分でやろう、と働きかけています。
これが難しい。
例えば、台所のフライパンの中にあるスタミナ丼を自分で温めて食べなさい、と言う場合。 
うちの子供達には、台所のフライパンの中にスタミナ丼があるから、①ガスの元栓を開けて②蓋をとって③ガスの火を中火でつけてかき混ぜて④丼にご飯をついで⑤ぶくぶくいいだしたら火を止めて⑥お玉ですくってご飯にかけて食べなさい、と指示を出します。
スモールステップで指示を出すというのはこういうことです。
以前は隣に居て、①から⑤までの指示をその都度出さないとわからなくなって固まっていました。
最近では私が他の事をしながら声をかければできる様になりました。

そう、成長しているのです。
これがやってもずっとこの状態なら、諦めます。
でも少しずつでもできる様になっているのですから、頑張らなくてはなりません。 

言う前に私が自分でやった方が早いです。
でも、くじけてはいけません。

ただね。

生活全てがこんな調子です。
しかも子供達二人ともです。
二人とも発達障害ですが、二人は正反対の特性を持っています。
対応も指示の出し方も変えなくてはいけません。
思春期だったり、反抗期ならではの反応もあります。

疲れます。

いや、疲れてる場合じゃないんですけどね。
わかってるんですが。
こんなことやってて意味あるのかな、私が疲れて終わりじゃないの?と思うこともあります。
でも、少しでも可能性があるなら、やらない選択肢は選べません。

急な変更に弱い

旦那はここまで細かく指示を出す必要は無いのですが、シチュエーションによっては全く動けなくなります。
ずばり、いつもと違う状況ですね。
彼の一番のパニックのツボは私の体調不良です。

私はメンタルの病気を抱えていて、ストレスが多かったりすると寝込んでしまったり、過呼吸の発作を起こしてしまう事があります。
疲れやすい発達障害特性からのものなので、静かに休ませてもらえれば良くなります。

ですが、旦那が帰宅して私が寝込んでいると、めしは!めしどうするん!と大騒ぎします。
帰宅したら私が寝ている、といういつもと違う状況が受け入れられないのですね。
そして、フリーズ。スマホのゲームを延々とし続けます。
スマホのゲーム=いつもやってる事。
受け入れられない状況からの逃避ですね。
この状態になると、スモールステップの指示を出さなければ彼は何もできません。
どうしていいかわからないんですね。
わかっているのですが。

メンタルが落ちて寝込んでいるときに、スモールステップの指示を出すのはしんどいです。
しゃべる事はおろか、まともに声も出せない状態です。
そんな時にどこに行って何をどの位、いくらぐらいまで買ってきて、長男は油っこいもの苦手で次男はとにかく食べられるものね、とか細かく言わなければいけません。
お店に目的の物がなければ、電話を繋ぎっぱなしでリモコン状態で指示出しです。
ちなみに旦那は料理はほとんどできません。
たまにお好み焼き等を作ってくれることはありますが、急に作ってと言われたらパニックです。
彼にとって仕事した日は家の事をする日ではないのです。

食べ物に強いこだわりを持っているのは旦那だけなので、一人で外食でもしてくれれば子供達は自分達で適当に食べることはできます。
でも、パニックになった旦那はそんな提案も受け入れられません。
彼にとって、夕飯は家族全員で食べるものなんですね。

そもそも寝込むのが悪いんだから、と自分に言い聞かせるのですが、寝込むのって悪いことなのでしょうか?
私は身体は丈夫な方で、風邪などで寝込むことはほとんどありません。
メンタルで寝込むのも年に数回です。

特性だから仕方無いの?

これは、我が家の永遠のテーマでは無いかと思います。
特性だから仕方無い、でも、全て受け入れられる程私にはキャパがありません。
家族にはそれぞれ、自分の特性を把握して、折り合いを付ける努力をして欲しいと思うのですが。

中々難しいです。

でも、頑張らないとね。

ぐちぐち失礼致しました。















発達障害と食卓事情


こだわりとの戦い~食卓編 - フミログ

先日のこちらの記事に対する発達障害特性を持つお子さんの保護者の方の呟きを、いくつか拝見させていただきました。
何と言っても食の事、悩みは深いですね。
私も子供たちが小さかった頃はどうやったら食べてくれるか、こんなに食べなくても大丈夫なのかとずいぶん悩んだものです。
結論から言えば。
少々食べなくても元気なら大丈夫です。育ちます。
鶏ガラの様に細くて心配でしたが、我が子達は思春期で一気に周りに追い付きました。
もう少し詳しく、我が家の食卓についてお話ししたいと思います。


全然食べなかった長男

赤ちゃんの頃の長男は、よく寝てよく飲む、とても育てやすい子でした。
子育て楽勝やん!とか思っていました。
ところが。
立ち上がると同時につたい歩き、あっという間に走り出しました。
走り出したら止まりません。
起きている間はずっと走っています。
食事中でも止まりません。
お行儀悪いので座らせようとあの手この手を尽くしましたが、無駄でした。
発達障害特性の一つ、多動です。
多動も場合によっては食べることに影響してしまう特性なのですね。
ご飯は味見程度に一口二口食べるだけ。
後は牛乳をごくごく飲んでおしまい。
その食べ物に興味があれば食べる事もありましたが、興味の無い物はスルーです。
多動がある場合は、あちこちに興味が飛び散ってしまうので、食事に集中することができません。
おまけにセルフモニタリングも弱いので、自らの空腹に鈍感です。
この子はこれで生きていけるんだろうか、と専門家にも相談しましたが、大丈夫だと思いますよ~というお答えしかもらえませんでした。

長男は現在、高校生になりました。
食は細いままです。
ですが食べることが楽しみで、偏食の無い細マッチョな男に育ちました。
小さい頃に鶏ガラの様な細い体でも、別に問題はありませんでした。


次男の味覚過敏

次男は長男と違って、じーっと座って食べ続ける子でした。
多動もありましたが、摂食に影響はありませんでした。
ですが、謎の偏食がありました。
前の記事でもお話しした、味覚過敏によるものです。
次男は食欲旺盛な子だったので、食べられる物はいくらでも食べました。
食べすぎてしまうこともしばしば。
でも、食べられないものは一口も口にしません。

まだ次男の発達障害の診断がつく前でした。
10年程前の事、私は発達障害という言葉すら知りませんでした。
長男の様に少食でもない、食べるときはたくさん食べる次男の偏食はわがままなのだと思いました。
食べられないわけじゃないでしょう、食べなさい!と言って、無理矢理食べさせようとしました。
次男は食卓でよく泣いていました。

次男は味覚が私達と違います。
後に本人からの聞き取りでわかったのですが、甘味を苦味に、酸味を辛味に感じていたようです。
辛味は痛覚を刺激していたようです。
同じものを口にしても、まったく違う味だと感じていたのです。
中には、痛いと感じてしまう食べ物もあったのです。

ひどいことをしていました。

無知とは恐ろしいものです。
私は自分の価値観だけで、次男に拷問の様な事をしていました。
幼い次男が食卓に座ったまま泣く姿が、今も思い出されます。

中学生になった現在、食べられる物は増えました。
味覚は成長と共に発達するのですね。
甘味が苦味に感じる事は少なくなったようです。
酸味や辛味は、変わらず刺激になってしまうようです。小さい頃より弱い刺激になっているようですが。
次男は給食が食べられないことを気にして、頑張って食べるから!と言います。
頑張らなくていい、食べられるものだけ食べなさい、先生にはお話してるからと私が言っても、食べられないのは悪いことだという認識を変えるのは難しいです。


こだわりとどう付き合うか

我が家にはもう一人、偏食の人が居ます。
旦那ですね。
旦那は前の記事でも書いた様に、強いこだわりから食べられない物がたくさんあります。

美味しいと感じるのに食べられない。
これは損だと思います。
次男の場合は、そもそも美味しいと感じていません。
でも旦那の場合は、こだわりが邪魔をして美味しい物でも食べられないのです。
旦那は自分がこだわりに縛られているのだと気が付いても、こだわることを止められません。
大人になってからでは、こだわりを崩すことは難しいのだと思います。

発達障害特性を持つお子さんで、食に限らず、生活の中で様々なこだわりを持つ子は多いのではないでしょうか。
こだわりを通すことは気持ちの安定に繋がると思います。
ですが大人になってからもこだわりに縛られていては、できることが限られてしまいます。
こだわりを優先すると、選択肢が限られてしまいますね。
ある程度成長して理解力が深まってきたら、こだわりに対する折り合いを付けられるようにお話されてみてはどうかと思います。
こだわりを全て崩さなくていけないとは思いません。本人なりの理由があると思うのです。
本人も周りもここまでならいいか、と譲れる妥協点が見つかると生活しやすくなるのではないかと思います。

食べられない原因がこだわりなら、折り合いをつける事で本人の食の世界が広がるかも知れません。
無理の無いペースでこだわりという縛りをといてあげるといいかも知れません。


食べることを楽しみにして欲しい

何故、私は泣いて嫌がる次男に無理に食べさせようとしたのでしょうか。
栄養をきちんととることは健康な体、健康な生活のための基本です。
誰でもわかっていることですね。
それ以前に、きちんと食べることが正しいという固定観念に縛られていたのではないかと思います。
小さな頃から、出されたものを残さずたくさん食べれば誉められました。
その感覚を次男に押し付けてしまいました。
発達障害があると、考え方が偏ってしまい、食べる事が嫌いになってしまう危険性もあります。
もう少し気が付くのが遅かったら、私は次男から食べる楽しみを奪っていたかも知れません。

食べられない理由が何であるか、それを見極めるのはとても大事なことだと思います。

多動で少食だった長男も、味覚過敏の次男も、今は食べることを楽しみにしてくれています。
食べられることは当たり前ではなく、幸せなことなのだと理解しています。
食べられない理由は様々です。
誰もが楽しく食べられるように。
価値観に縛られて、食べることが苦しくなってしまう方が一人でも減って欲しいと思います。





































こだわりとの戦い~食卓編

我が家には、極端な偏食の人が二人います。
単純な好き嫌いもあると思いますが、それだけではありません。
発達障害特性と絡んでいます。


次男の場合

保育園に通っていた頃は白い物しか食べませんでした。
うどん、白ご飯、豆腐、シチュー、ジャガイモ、玉ねぎ、人参、挽き肉、鶏肉、白身の魚、納豆、お店のラーメン。
甘いカレーとハヤシライスも大丈夫でしたね。
炊き込みご飯も食べられました。
お菓子はじゃがりことリッツのみ。
ジュースは100%のりんごジュースのみOK。
牛乳は大好きでした。
メーカーが限定されていましたが、ヨーグルトも食べられました。
果物は苺とバナナとキウイと桃とりんごだったかな。
これ以外の物は、ほとんど食べられませんでした。
ドレッシングやマヨネーズ、ケチャップ等の調味料は一切ダメ。辛いのだそうです。
お醤油と味噌は大丈夫でした。味噌はお味噌汁限定でしたが。
甘いものも一切ダメでした。甘味は、苦く感じていたようです。
苦い薬は平気で飲んでいました。
甘味がつけてある薬は全力で嫌がりました。
どれだけお腹が空いていても、食べられない物は絶対に食べません。
保育園の給食では、食べられない食材でも調理法によっては食べられたりするので、保育士さんも首をかしげていました。
普通の偏食とは違う感じがするので、無理に食べさせるのはやめようという話になりました。

長男の診察の時に、この次男の偏食の話を主治医にしたのが、次男の初診に繋がるきっかけの一つでした。
感覚過敏の一つ、味覚過敏だろうと言われました。
次男は食べること自体は大好きなので、食べられる物はたくさん食べます。
でも、食べられない物は絶対に食べません。
小学生の頃、インフルエンザをこじらせて小児科病棟に入院したのですが、出された病院食を一口も食べませんでした。
食べられないのなら点滴が外せないから退院させられない、何か食べられる物を持ち込んでくれと言われました。
次男が好きなうどん屋さんの炊き込みご飯を旦那に買ってきてもらって食べさせたところ、大パック半分ほど食べました。
翌日、退院の許可が出ました。

中学生になった現在、小さい頃よりも食べられる物はかなり増えました。
味覚が発達して、小さい頃ほど過敏では無くなったようです。
今でもマヨネーズやドレッシングはダメです。
ケチャップは大丈夫になりました。
甘いものも大丈夫ですね。和菓子が大好きです。
給食は食べられない物を他の子に食べてもらっているそうです。
外食やコンビニ食やスーパーのお総菜はハードルが高いです。仕出し弁当も食べられません。
味が濃いものはダメみたいですね。

食べ物が周囲と共有できないというのは、社会に出てからコミュニケーションの上で難しい場面が出てくると思います。
どうすれば上手くいくか、一緒に考えていきたいと思います。


旦那の場合

私は新婚の頃、料理が嫌いではありませんでした。
手際が悪いので得意ではありませんが、冷蔵庫の中にあるもので適当にオリジナルなおかずを作るのが好きでした。
その方が経済的でもあるかと。

旦那は、そんな食卓に一々文句を言いました。
食えない!と。
何で?と聞くと、何となく、と。
食卓を一目見てスーパーでお総菜を買ってくることも数知れず。
一口食べてもらって、美味しいかと聞くと、美味しいと言います。
でも、食べられないのだそうです。

その後は旦那の好みに合わせて食事を作るようにしました。
でも、どうしても食べられる物と食べられない物の区別ができません。
特定の物や味が食べられないわけでも、食感がダメなわけでも無さそうです。
本人に聞いても答えは何となく、でした。
明らかに好き嫌いとは違いました。

最近になって。
旦那も家族も発達障害だと診断されてから、発達障害の事を家族で勉強しました。

ラーメン屋さんに行った時の事でした。
旦那はとんこつラーメンが大好きで、とんこつラーメンなら毎日でも食べられるという人です。
その日も、とんこつラーメンを注文しました。
私は、辛味噌入りのとんこつラーメンを注文しました。
この辛味噌入りのとんこつラーメンが素晴らしく美味しくて、旦那に一口味見をするようにすすめました。
味見をした旦那が一言、うまい、と。
でも、その後に苦笑しながら、うまいけど食べられないと。
これがラーメンと書いてなければ食べられる、ラーメンと書いてある物が辛いと食べられないと言うのです。

発達障害特性の一つ、こだわりです。

長年の謎が解けました。
本人もこだわりだと苦笑しながら認めていました。
発達障害特性について勉強していたので、気付く事ができたのです。

旦那には、食べ物へのこだわりがたくさんあります。

カレーやシチューがドリアやグラタンになるのはありえません。
カレーが鶏肉だったり緑色だったりするのもありえません。玉ねぎ、人参、じゃがいも以外の野菜が入っているのもNGです。ドライカレーもありえません。
ラーメンの汁が白くないのはダメ、お味噌汁に人参やもやしはありえない。(豚汁ならOK )
目玉焼きは黄身が固まっているのは食べられない。ベーコンエッグもダメ。
ハンバーグにはケチャップ!(他のソースはありえない)
トマトは生で食べるもの!
刺身は刺身!(余ったから翌日リメイクしたものなんか食えない)
果物はおかずじゃないだろ!(八宝菜やポテトサラダのりんごやパイナップル)
カボチャはサラダやスープで食べるものじゃない。
肉じゃがはつまみだ、ご飯のおかずじゃないだろ、ご飯のおかずはどれ?
知らない物は食えない。
残したらダメ、絶対食え!(俺は食えないけどな)

知るか~!

とは言いません。
他にもたくさんありますが、とても書ききれないですね。



発達障害の生きづらさは、こういう所にも表れます。
嫌いな食べ物はありますか?と聞かれて一言で答えられなかったり、好きなものでもこだわりに縛られて食べられなかったり。
食べられないということを、食べられる人に理解してもらうのは難しいです。
食べられない物は、どうしても食べられないのです。
極端な話、命の危険があっても、食べることができないのです。
無理に食べさせようとしないで、本人達の好きなようにさせていただけるとありがたいです。

ご飯は楽しく食べて欲しいと思っています。
食事が苦痛の時間にならないように、工夫していきたいです。
てすが。
できれば、ご飯を作る人を労ってくれたら嬉しいなあとは思います。
言いませんけどね。





次男が学校で受けた支援について


発達障害の次男を支援学級へ一年間託して思うこと - フミログ

 
以前、こんな記事を書きました。
次男本人の了解を得たので、次男が学校で受けた支援内容を思い付くままに書いていきたいと思います。
 
 
次男は小学校3年生の頃にADHDの確定診断を受けました。
当時は通常学級に在籍していたのですが、担任の先生へ次男の特性を説明し、通常学級内での支援をお願いしました。
発達検査の結果を見せながら管理職を交えてお話したこともあります。
 
・教科ごとに使う教材をリストアップした、ラミネート加工したシートを作ってもらった。
・席を前の方にしてもらった。
・注意散漫なので、窓際の席を避けてもらった。
・授業中及びその他の活動時に全体に対する指示を出した後、個別に声かけをお願いした。
・書き取りが苦手なので、宿題はドリル書き写しではなく、ノートに下書きをしてもらうか、プリントを用意してもらった。
・連絡帳をチェックしてもらって、記載漏れがないように声かけをしてもらった。
 
思い出す限りになりますが、主にこの様な内容でした。
学年ごとに担任がかわり、その都度支援の内容も変わりました。
最初から積極的に取り組んでくださった先生もいらっしゃれば、結局何もしてくださらなかった先生もいました。
 
高学年までは、学習に関して上記の支援内容で特に問題は無く過ごすことができました。
ところが6年生になってから、学習の遅れが大きく目立つようになってきました。
先生の指示が理解できない、グループでの活動が増えて行動の優先順位がわからない、学習自体が難解になってきた等様々な理由があったと思います。
三学期になって、朝に吐いてしまって学校を休む日が続きました。
中学校には知的障害児が対象の特別支援学級しかありません。
次男はADHDの診断しか受けていません。
とても悩んだのですが、本人の希望と、校長先生や発達教育センターの担当の方の後押しもあって、中学校の入学時に特別支援学級に入級することになりました。
 
 
中学校では、とりあえず国語以外の全教科を交流学級、つまり通常学級で受けるところからスタートしました。
国語は本人の苦手意識が強かったので、支援学級で受けることにしました。
普通高校への進学を希望していたので、学習は通常学級と同様に進めて頂く様にお願いしました。
一日のほとんどを交流学級で過ごしますが、在籍は特別支援学級になります。
 
支援学級担任は、中学校入学から数日後、次男の交流学級でクラス全員に、次男が支援学級に通うことを話したそうです。
その際、障害という言葉や診断名は言わなかったそうです。
本人や周りの友達が、支援学級に入級することを受け入れられるかどうか。
不安でいっぱいでした。
 
次男の朝は部活動の朝練習から始まります。
朝練習が終わった後、支援学級に寄って支援担任に顔を見せて連絡帳を出し、国語以外は一日交流学級で過ごした後、帰りの会が終わって再度支援学級に顔を出し、連絡帳を受け取って部活動に行く毎日でした。
 次男は最初の頃、交流学級から支援学級に移動する際、支援学級に入る姿を他の生徒に見られるのを嫌がり、遠回りして支援学級に入っていたそうです。
支援学級に居るときに窓の外を誰か通ると、机の下に隠れてしまうと支援学級担任から聞きました。
次男は一見して障害がある様に見えません。
交流学級のクラスメートは最初に支援担任から説明を受けたので、次男に何も聞かなかったそうです。
けれど交流学級以外の同級生や部活動の先輩からは、何故支援学級に居るのかと何度も聞かれたそうです。
 
この事で次男が少し不安定になってしまいました。
とりあえず支援学級内に窓から見えないスペースを作ってもらうようにお願いしました。
けれど、支援級に入るところを見えないようにするのは不可能です。
慣れるしかないと言う結論しか出ませんでした。
 
学習面での困難も大きく目立ち始めました。
まず、英語のアルファベットの見分けがつかなくて、単語が覚えられませんでした。
次男は覚えようとして毎日一生懸命書き取りをしていたのですが、困難でした。
これをこの先も続けていくのは本人にとって大きな負担になるのではないかと思いました。
数学も段々授業内容が理解できなくなってしまい、部活動の朝練習で疲れていた次男は、授業中に居眠りして怒られる様になってしまいました。
 
特別支援教育を選択する目安の一つとして。
授業内容が理解できているか、というのが上げられます。
45分間座っていて、何をしているのかわからない、先生が言っている意味がわからないというのは、もう授業についていけてないと考えて良いと思います。
通塾や家庭学習で補えるのであれば積極的にそういった手段を取り入れて、45分間を無駄な時間にしない事が大事だと思います。
 
次男は特性上、通塾が難しいだろうと医師に言われていました。
 
そうしている内に、次男がいくつかトラブルを起こしました。
簡単に言えば、喧嘩です。
同級生から、からかわれて手が出てしまいました。
一つ一つはさほど大きなトラブルでは無かったのですが、そういったことが続きました。
 
これはサインだと思いました。
少しずつ、次男のキャパがいっぱいになって溢れだしたのでしょう。
この時も散々悩んだのですが、思いきって二学期から支援で受ける教科を国語、英語、数学に増やしました。
そして宿題として提出しなければならなかった、ノート1ページ分の家庭学習の免除をお願いしました。
 
それと同時に、二学期からタブレット学習の導入をお願いしました。
次男は読むことと書くことに苦手意識がありましたが、学習の理解が極端に悪いわけではありませんでした。
タブレットで読み書きの負担を減らせば、学習の幅が広がるのではないかと思いました。
次男の中学校では初めての取り組みで、手探り状態でのスタートでした。
 
支援学級担任から提案されたのが、1ページノートの家庭学習の代わりにアプリで毎日日記をつけてはどうかということでした。
毎日の記録をつけること、文章を書く練習になること、一日を見つめ直す時間ができること等、とても良いことだと思ったので、これを毎日のノルマにしました。
日記のアプリはいくつか探して本人に見せたところ、カレンダーアプリの日記機能を選びました。
私もスマートフォンに同じアプリをインストールしていたので、同期して毎日日記をチェックできるようにしました。
一行でいいから、でスタートして、半年ほど経った現在、三行程に増えました。
状態や気持ちの描写も見られるようになりました。
 
その他の学習アプリについては、こちらのなないおさんのブログを参考にさせて頂きました。

nanaio.hatenadiary.jp

 自力で見つけることができなかったので、とても助かりました。
ありがとうございました。
英和・和英辞書アプリ、国語辞書アプリ、社会科の学習アプリ等を主に使いました。
交流学級で受けている社会科の定期考査の試験勉強は、主にアプリで取り組むようになりました。
 理科では、検索が役立ちました。
支援学級で受ける教科を増やしてから、主要教科以外の定期考査の点数が、少しずつ上がり始めました。
学習の量的に、次男のキャパに収まるようになったのでしょう。
本人の自信にも繋がりました。
 
その頃から、次男の様子が変わってきました。
明らかに楽しそうです。
支援学級で受ける授業にも積極的に参加し、得意の雑学を披露して上機嫌だったそうです。
元々あったアイディア豊富な一面も、この頃から発揮するようになりました。
トラブルもなくなり、私が.学校へ行くと、先生方から頑張ってますよと声をかけられました。
交流学級担任との面談で次男は、支援学級で受ける教科を増やしたのは自分にとって良い事だと言ったそうです。
内容を理解した上で、本人が主体的に学習を進める事の重要さを改めて実感しました。
 
次男は医療機関の発達検査では、療育手帳の取得は無理だろうと言われていました。
思い切って申請して判定を受けたところ、取得できました。
これをきっかけに、進路希望を普通高校から軽度知的障害児向けの高等特別支援学校へ変更しました。
受検(受験ではありません)を受けて入学する学校なのですが、とても競争率の高い狭き門です。
何度も本人と話し合いを重ね、学校見学にも足を運んで決めました。
 
学校生活に慣れて本人も周りも上手く回りだしたな、と実感できるようになった頃には、支援学級への移動で遠まわりしたり支援学級で机の下に隠れることもなくなりました。
支援を受けなければできないのではない、支援を受ければできるのだから。
本人に何度も話しました。
支援を受けることを恥ずかしいとは思って欲しくありません。
支援を受けながら、朗らかに楽しく生きて欲しいと願います。
 
特別支援教育は、オーダーメイドなのだと思います。
正しく寸法をはかり、きちんと発注しなければ、形あるものにはならないのではないかと思います。
勿論、予算や手間を無視した発注でも成り立ちません。
職人側が技術の向上や手間を惜しんでもいいものはできません。
学校側と話し合いを重ね、特性を理解して頂き、お互いにアイディアを出し合って初めて良い物ができるのだと思います。
 
これからも私達のチャレンジは続きます。
私は逞しくなった彼の背中を、ぐいぐい押していこうと思っています。
本人には言いませんが。
ガンバレ次男。
 
 
 
 

私の発達障害の事を書いてみました

http://nanaio.hatenablog.com/entry/2015/04/01/100000

なないおさんがこんな企画を立ち上げてくださいました。
私は自分の発達障害についてお話させて頂こうと思います。

 
中学生の頃。
休み時間になると、狭い教室の中で皆いっせいにおしゃべりを始めます。
集中して授業に参加した後に緊張が解けて、ホッと一息つく、短いけれど楽しい一時です。
私は仲の良い友人とおしゃべりをするのは好きでした。
けれど、この時間は恐怖でした。

私には、私の真横でしゃべる友人が、ただ口をぱくぱくさせているだけにしか見えませんでした。
側で話しかけてくれているのに、友達の言葉が全く聞き取れないのです。

私はひきつらせた笑顔を浮かべながら、話している友人の口の動きや周りの反応を見て、何の話をしているのか推理しながら会話に参加していました。
聞き返す事も多かったです。
耳遠いね!とよく言われました。
あはは、そう、耳遠いの、と言おうとすると、違うよね、めちゃめちゃ地獄耳の時もあるよね!と言われます。

そう。
離れた距離でひそひそと話す人の会話が聞こえてしまう事も度々ありました。

私の耳は何かおかしい。
はっきり意識したのが、中学生の時でした。
聞こえない、聞き取れない。
でも、すごく聞こえる時もある。
意を決して、母に訴えました。
耳が聞こえない。
この一言を口から絞り出すと、涙がポロポロと溢れました。

耳鼻科でして頂いた検査では、私の聴力は人並み以上だという結果でした。

嘘ついたね。
母は私に言い放ちました。
私は嘘をついた。
私は当たり前の事で騒いだ。大袈裟だった。母に迷惑をかけてしまった。
私は嘘つき。

二度とこの事は言ってはならないのだと理解しました。

自分が何か異質であると意識しだしたのもこの頃でした。

小学生の頃から、授業中はいつもボンヤリとしていました。
先生の話は外国語の様で、時折知ってる単語が聞こえる位でした。
教科書を読むのは大好きで、どんどん読んで勝手に勉強を進めていました。
成績は悪くありませんでした。
でも、指示が頭に入らないので、皆が何をやっているのかわかりません。
もたもたして、周囲から冷たい視線を浴びてしまいます。

常に体を動かしていないと落ち着かなくて、不安な気持ちになりました。
シーンとした教室にいると、とても不安になって、自分の意思とは関係無く体が動いてしまいます。
椅子に座ったまま肩をすぼめてみたり、足をバタバタさせてみたり。椅子をがったんがったん揺らしてみたり。気が付いたら、椅子ごと違う場所へ移動していた事もあります。
小学生の頃は体が動いてしまうのが嫌で、ずっと椅子の上に正座して授業を受けていた時もありました。

でも、他にそんな子はいないんです。
皆先生の指示を聞いて言われた事をやっているし、椅子にも真っ直ぐ座っています。

皆きっと、すごく体に力をいれて、動かないようにして座っているんだ。
皆先生の話をすごく頑張って聞いて、ちゃんと言うことを聞いてるんだ。
私は頑張ってないからできないんだ。

話が聞こえないのも、授業中ボーッとしてしまうのも、体が勝手に動くのも、頑張ってないからなんだ。

もっと頑張らないと。

毎晩の様に一人で嗚咽をこらえて涙を流しました。
家族に気付かれないように。

何故か、成績は常に上位でした。
だから余計に、私自身が感じている違和感に周囲が気付く事は無かったのだと思います。

普通になりたい。目立たないようになりたい。
頑張ればできる、頑張ってないから私は何か周りと違うんだ。
ずっとそう思っていました。

体はいつも鉛の様に重く、だるくて、一日中眠気がありました。
小さな頃から強い不眠もあり、何日もまともに眠れない時もありました。
頭には常に射し込むような痛みがあります。
軽い目眩の様な感覚に突然おそわれて、歩くことも困難になることがありました。

体はどこも悪くありません。
皆、同じなんだ。 
私の我慢が足りないんだ。
ずっと自分に言い聞かせてきました。

思い通りにならない自分自身を、必死で制御し続ける日々。

大人になって、仕事もいくつか経験しました。 
結婚して、子育てしながら始めた訪問販売の仕事で、またもや周囲との違和感を感じ始めました。

女性ばかり20人程の職場でした。
毎日会う同僚の顔はすぐに覚えたのですが、名前が覚えられません。
全員の名前を覚えるのに、数年かかりました。
覚えるまでは、毎日が恐怖でした。

同様に、お客様の名前も覚えられません。
訪問販売なのに道も覚えられません。
他の人は2~3度回れば覚えてしまうのに。
休みの日に地図を片手に何度も道の確認に回りました。

帳票の計算も、何度やっても合いません。
他の人達はどんどん終わらせて仕事を進めます。
でも、私は一人で座って何度やっても合わない計算を続けていました。
泣きたくなりました。

営業では新規のお客様をどんどん開拓して、売上も上げる事ができました。
お客様の継続率も良かったです。
でも、顧客を整理して効率よく仕事を回し、手早く事務処理を済ませる事が致命的にできませんでした。
顧客が増えれば増えるだけ、仕事がさばけず、どんどん自分を追い込んでいきました。
子育てを続ける上でとても条件の良い仕事だったので長く頑張ったのですが、結局続ける事はできませんでした。

子供達が成長して、問題行動が頻発するようになりました。
児童精神科を紹介され、二人の子供達がそれぞれ発達障害の診断を受けました。
次男の確定診断を告げられた時に、医師がポツリと言いました。

あなたも恐らくADHD だよ。

何も言えませんでした。

次男の確定診断を受けとめるだけで精一杯でした。
けれど、もしそれが真実ならば、今まで感じていた強烈な違和感が何だったのか、説明が付きます。

子供達が落ち着いた頃、私は自分から希望して大人の知能検査を受けました。
結果は間違いなく発達障害だと言われました。

人が呼吸をするかの如く当たり前にできる事が、何故私にはできなかったのか。
全てが発達障害特性のせいであるとは言いきれません。
けれど、発達障害でなければ、人並みにできた事もあったのではないかと思います。

診断された時に医師に告げられた大きな特性の一つに、感覚過敏というものがありました。
私は、聴覚と視覚に過敏があると言われました。
人の脳には、必要な情報だけを選びとってインプットする能力があるのだそうです。
発達障害があると、この能力が壊れている事があるのだそうです。

感覚過敏。
必要な情報を選びとる事ができない。
ざわざわした場所で話が聞き取れないのは、これが原因でした。
私の耳は室内の音を全部拾ってしまい、会話している相手の声を聞き取る事ができなかったのです。
そして長いこと私が頭痛だと思っていた、頭の奥に感じる射し込むような刺激も、これが原因でした。
光やカラフルな色彩や、金属が擦れる音、スピーカーから響く大音量、人の話し声、車の音。
世の中に当たり前に溢れる音や光は、全て洪水の様に私を刺激し、疲弊させていたのです。
体は悪くないのに常に感じていた疲労感の正体が、やっとわかりました。
突然襲われるめまいの様な感覚は、情報過多によるパニックなのだと気付くことができました。

後に、私には自閉傾向もあると告げられました。
診断名をつけるなら広汎性発達障害になるのだそうです。
けれど私の場合、ADHD特性が強いので、ADHDを優先診断にするとの事でした。

自閉症にはそれとわかりやすい顕著な特性がみられるタイプと、私の様に不定形で特定しにくいタイプとがあります。
私の様なタイプの多くは強い違和感を持ちながら、気付かれることの無いまま生きているのではないかと思います。


今でも私は、ざわざわした場所では人の話を聞き取る事ができません。
あらゆる音や光は痛みを伴う刺激となって私を悩ませます。
でも今は、何故そうなるのかわかっているので、回避することができます。
人が当たり前にできるのに私にはできない事が何であるかも把握して、避ける事ができるようになりました。

楽に生きられるようになりました。


自閉症スペクトラムADHD、LD 等の発達障害の啓発が進んで、生きやすくなれる方が増える事を願います。




  






療育手帳について

 

kiirocco.hatenablog.com

以前、きいろさんがこんな記事をまとめていらっしゃいました。

 

www.kukkanen.tokyo

こちらはkukkanenさんの記事。療育手帳精神障害者保健福祉手帳の違いについてまとめられています。

 

私も、私なりに療育手帳についてまとめてみようと思いました。

 

 

療育手帳とは。

 

知的障害のある人に対して、一貫した指導・相談を行ったり、各種の福祉サービスを受けやすくするための手帳です。

提供されるサービスは、障害程度によって異なります。

 

私が居住している自治体で配布される冊子を参考に、受けられるサービスを並べてみます。自治体によってサービス内容が違いますので、詳しくはお住まいの自治体の担当窓口にお問い合わせください。

 

障害者110番が利用できます。障害者の権利擁護にかかる相談の為の常設相談窓口を設置しているそうです。

 

知的障害者相談員に日常生活における相談ができます。

 

民生委員・児童委員に日常生活における相談ができます。

 

重度障害者医療費助成が受けられます。(重度のみ)

 

精神通院医療(自立支援医療)が受けられます。

 

後期高齢者医療制度が65歳以上75歳未満で受けられます。(重度のみ)

 

特別障害者手当が受給できます。(20歳以上で最重度か重度との重複障害のみ)

 

障害児福祉手当が受給できます。(最重度の児童のみ)

 

特別児童扶養手当が受給できます。(中度・重度)

 

心身障害者扶養共済制度に加入できます。

 

定められた日常生活用具の給付が受けられます。(頭部保護帽等)

 

徘徊知的障害者捜索システム事業でインターネット等を使って警察等関係機関と連携します。

 

在宅サービスが受けられます。事前に支給決定が必要です。

・居宅介護(ホームヘルプ)

・生活サポート(単身及び単身相当世帯)

・短期入所

・日中一時支援(日中預かり)

・放課後等デイサービス

・緊急一時介護(中度・重度)

・配食サービス(単身及び単身相当)

 

公営鉄道、JR、私鉄、航空各社で割引を受けられる場合があります。割引率等は各社によって違いますので詳しくは各社にお問い合わせください。

 

福祉タクシーの助成が受けられます。(重度で住民税非課税世帯のみ)

 

タクシー料金の割引が受けられます。

 

有料道路の割引が受けられます。(重度のみ)事前に登録が必要です。

 

移動支援が受けられます。(重度のみ)

 

行動援護が受けられます。事前に支給決定が必要です。

 

まごころ駐車場の利用証が受けられます。(重度のみ)

 

駐車禁止除外指定車標章の交付が受けられます。(重度のみ)

 

公営駐車場・公営駐輪場の利用料の減免が受けられる場合があります。利用時にお問い合わせください。

 

生活福祉資金(福祉資金)の貸し付けが受けられます。

 

日常生活自立支援事業の対象になります。

 

成年後見制度利用支援が受けられます。

 

自動車運転免許取得の助成が受けられます。

 

各種就労に関する支援が受けられます。

・障害者就労支援センター等の利用

・就労移行支援

ハローワークでの相談及び障害者枠での登録

・就職支度金の支給

・障害者職業能力開発校の利用

 

所得税、住民税の障害者控除が受けられます。

 

自動車税軽自動車税等の減免が受けられます。(中度・重度)

 

NHK放送受信料の減免が受けられます。細かく条件が設定されています。詳しくはお問い合わせください。

 

NTT電話番号案内が無料で受けられます。

 

携帯電話の基本使用料の割引を実施している場合があります。

 

動物園、植物園、公営体育館、公営プール、美術館、博物館等で利用料金の割引が受けられます。

 

映画館、各種イベントでも割引を実施している場合があります。窓口にお問い合わせください。

 

 

これらのサービスの中には、療育手帳が無くても受けられるものもあります。

在宅サービス等がそうですね。

無くてもサービスは受けられますが、手帳があることによって役所の担当者がこんなサービスがありますよ、とお勧めすることができるのです。

手帳がないと、誰がそのサービスの対象になるのか、役所では把握できないと思います。

 

手帳の存在は、そのものを見られることがない限り、他人に知られることはありません。

 

我が家の子供達は、二人とも療育手帳を持っています。

私は子供達に療育手帳は常に持ち歩いて、使うように言い聞かせています。

家族で出かける場合にも、手帳で割引できるかどうか窓口に問い合わせて、本人に提示させます。

積極的に使わないと、どんな場面で使えるのか本人達がわからないからです。

 

電車に乗る時。街で道がわからなくなった時。お店でポイントカードを作るために書類の記入が必要な時。物の買い方がわからない時。

長男はヘルプカードの様に手帳を見せて警察官や駅員さんや店員さんに助けを求めます。

地域の方に彼が知的障害者であることを知っていただく事にも繋がります。

ほんの少し助けてもらえれば、彼は普通の若者の様に生活を楽しむことができるのです。

次男はまだ療育手帳を持って日が浅いのでそこまでできませんが、これから練習していきます。

 

知的障害とは。

 

最近では発達障害に対する関心が高まっているようですが、知的障害に対する理解は中々進みません。

彼らが、自らの困難さを発信する術を持たないからだと思います。

彼らは、発達障害と同じく強いこだわりや感覚過敏等の特性を持っています。

彼らは、何故その様な特性で自らが苦しい思いをしているのか、分析することができません。

それどころか、苦しい、辛いという気持ちが何なのか、わからない人もいます。

 

人は何か困難で苦しい事があると、無意識にそれを分析し自分なりに理由付けをして折り合いを付けようとします。

仕方なかったよね、どうしようもなかったよね、あの人の言ってることおかしいよね、十分頑張ったよね、等。

彼らには、それができません。

上手くいかなかった事実だけを目の前に、改善策も逃げ道も見つからぬまま、駄目な自分を責め続けます。

全ては自分が至らないからだと。

感覚過敏があれば、それが何故起こるのか、理由もわからないまま耐え難い刺激に晒されます。

彼らがどれ程の混乱の中に居るのか、想像して頂ければと思います。

 

彼らが生きる世界は、わからない事、不思議な事でいっぱいです。

療育手帳はそんな彼らの世界を少しだけ拓き、外の世界との橋渡しをしてくれる道具だと思っています。

保護者はいつも、いつまでも、彼らに寄り添う事はできません。

保護者に代わって終生彼らに寄り添い、見守ってくれるのが療育手帳制度なのだと思います。

 

手帳を使ってほんの少し助けていただければ、彼らの多くは、人生を楽しむ事のできる力を持っています。

彼らも人間です。

人として生きる権利があるのです。

 

ご理解頂いて、見守って頂ければと思います。